晩秋と初冬はどこが境目なのだろう。軽井沢の住人は紅葉が終わったらすぐにスタッドレスタイヤに履き替えている。私は境目なく仕事をしている。
気がついたらWeeklyの原稿が4本、月間換算では16本。マンスリーに2回の原稿が2本。月間換算では4本。シーズンごとのマガジンが3社×4回で年間合計12本抱えている。全部を合計すると年間252本の原稿を書くことになる。嘘だろうと叫びたいくらいだ。だから私は執筆スケジュールを書かなくては到底管理できない。毎晩家につくのは夜の11時。寝るのは2時、。起きるのは7時。体に良いわけがない。
執筆は本業ではない。本業は別にある。
人生は旅の寄り道の連続で、ここでの出会いと別れだけが人生だと思う。私の定義では寄り道はローカルフラグに属する。しかしローカルフラグが一番大事な宝物だ。グローバルフラグは年々歳々のカレンダーに過ぎない。
しかしカレンダー上を人は歩く。気がついたらカレンダーをどれほどめくって歩いたのか。今や調べるのは超簡単だ。私は今日で25861日生きている。
そんなことは大事なことではない。誰と出逢い、誰と別れたか。旅の寄り道と称したローカルフラグ上にしか人生の真実はない。
しかし最後はローカルフラグさえも地上から消えてなくなる。残るはずがない。人間の心の問題だからだ。それでよいのだ。だから人間は過去にも縛られず、未来にも縛られず、現在からも縛られず、自由に生きるべきなのだ。
つなぎ目はどこか。そんなものはない。人生ではつなぎ目は一切ない。生の0.1秒後に死が来る。ここまでが生で、ここから先が死ですなんてつなぎ目はない。だからいまを自由に生きるしかないのだ。