服部が防潮堤を反対したのは2012年8月21日付本ブログ「気仙沼市新防 潮堤計画反対のワケ」および2013年10月30日付当ブログ「東北防潮堤はバカの壁である」で書いたように、日本の島々では箱もの道路予算で防潮堤が 次々とつくられ、その結果砂浜は壊れ、塩害が予想もつかぬところで発生し、自然生態系を壊していることをつぶさに見ているからです。
下記は防潮堤を反対している岩手県高橋博之さんの文章を、そのまま転写したものです。
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高橋博之氏のFacebookより
岩手でも漁師や高校生など当事者から防潮堤再考を求める声が上がり始めました。
昨日、大槌で住民が開催した復興まちづくり会議。町内外から約180人が参加しました。写真は、その様子です。立って話しているのは、新おおつち漁協の阿部力組合長代行。「個人的な意見だが、漁業者の立場からは(14・5メートルの)防潮堤に必要性を見いだせない。見直しを検討できる機会があれば足を運び たい」と訴えました。
また、大槌高校2年の吉田優作くんは「津波避難路を整備すれば、防潮堤は震災前と同じ高さでいい」と意見を言いました。ふたりとも、まちづくり会議実行委 員のメンバーです。安倍昭恵首相夫人もゲストとして参加していただきました。巨大防潮堤のあり方に大きな疑問を持っている昭恵夫人も、住民の声にじっくり と耳を傾けていました。
会議に先立ち講演した国立民族博物館の竹沢尚一郎教授は、「防潮堤の水門をつくるのに10年〜15年かかる。それまでまちづくりができない。人口流出は進んでおり、防潮堤ができる頃には誰も住んでいないということになりかねない」と言います。
現場の技術者や行政職員からは、「まずは現行高の防潮堤をつくり、その段階でまちづくりができるようにしていくのが現実的だ」との段階整備の考え方も出始めています。
会議の直前に安渡小学校仮設住宅で開催した昭恵夫人を囲む被災者のミニ集会で、実行委員会のメンバーで大槌高校2年の小林寿美ちゃんは「大きな防潮堤をつ くって海が見えなくなるんだったもう大槌じゃない。そんな町にするんだったら出ていくと町長に言いに行った」と話しました。防潮堤の維持管理費の負担は、 この高校生たちに将来かかってきます。
ニューヨークタイムスは先日、釜石の湾口防波堤は無用の長物と切って捨てる特集記事を世界に配信しています。癒着の構造についても、切り込んでいます。日本の大手新聞社もニュースソースの後追いを始めています。
http://ameblo.jp/fuhitoshimoyama/entry-11074225764.html
大槌町の復興計画をつくった東大の中井佑教授も自らこう述べています。
「防潮堤のような防災構造物には、たとえば100年に一度という規模の自然力に対応することが求められる。つまり、防潮堤の規模や形を支配するのは、 100年の時間スケールで一回程度起こりうる非日常事の論理である。一方、都市計画やまちづくりは、残りの99年と364日をいかに豊かに生きるか、とい う日常の論理に軸足を据えなければならない。その日常のなかに、いかにして100年に一度に対する備えを織り込んでゆくかが、勝負どころである」。
不幸だったのは、震災直後、この”非日常の論理”が復興の議論を支配していたことでした。あれだけのことが目の前で起きたのだから仕方がないことだったと 思います。早期の復興計画策定を求められていた行政にしても、他に選択の余地はなかったのかもしれません。しかし、震災から2年半が経過し、被災者も冷 静に”日常の論理”で自らの暮らしやまちづくりを考えることができるようになるにつれ、防潮堤への疑問の声が地元で広がってきました。
中井教授はこうも言っていました。「結局、防潮堤というひとつのパーツだけを切り出して独立的に検討する、という方法の限界なのである。非日常のなかに閉じた論理が高度に完結すればするほど、日常の論理と相容れない対立点がむき出しとなる」
まさに、この対立点がむき出しになってきたのが現状ではないでしょうか。では、この対立点をどのように乗り越えていくのか。言い換えれば、どのように合意 形成をはかっていくのか。ここが行政も住民も知恵の絞りどころなんだと思います。大槌で住民が立ち上げた復興まちづくり住民会議も、この問題意識から始まりました。
今さらという人もいますが、ここを乱暴に進めていけば、将来、「地域破れて防潮堤あり」という取り返しのつかない事態を招いてしまうことになりかねません。それが北海道奥尻島の復興から得られる教訓でもあったはずです。
◎岩手日報
14メートル防潮堤に疑問の声も 大槌・復興住民会議
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20131104_6
◎毎日新聞
住民がまちづくり会議 防潮堤に議論集中
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20131104ddlk03040066000c.html
昨日、大槌で住民が開催した復興まちづくり会議。町内外から約180人が参加しました。写真は、その様子です。立って話しているのは、新おおつち漁協の阿部力組合長代行。「個人的な意見だが、漁業者の立場からは(14・5メートルの)防潮堤に必要性を見いだせない。見直しを検討できる機会があれば足を運び たい」と訴えました。
また、大槌高校2年の吉田優作くんは「津波避難路を整備すれば、防潮堤は震災前と同じ高さでいい」と意見を言いました。ふたりとも、まちづくり会議実行委 員のメンバーです。安倍昭恵首相夫人もゲストとして参加していただきました。巨大防潮堤のあり方に大きな疑問を持っている昭恵夫人も、住民の声にじっくり と耳を傾けていました。
会議に先立ち講演した国立民族博物館の竹沢尚一郎教授は、「防潮堤の水門をつくるのに10年〜15年かかる。それまでまちづくりができない。人口流出は進んでおり、防潮堤ができる頃には誰も住んでいないということになりかねない」と言います。
現場の技術者や行政職員からは、「まずは現行高の防潮堤をつくり、その段階でまちづくりができるようにしていくのが現実的だ」との段階整備の考え方も出始めています。
会議の直前に安渡小学校仮設住宅で開催した昭恵夫人を囲む被災者のミニ集会で、実行委員会のメンバーで大槌高校2年の小林寿美ちゃんは「大きな防潮堤をつ くって海が見えなくなるんだったもう大槌じゃない。そんな町にするんだったら出ていくと町長に言いに行った」と話しました。防潮堤の維持管理費の負担は、 この高校生たちに将来かかってきます。
ニューヨークタイムスは先日、釜石の湾口防波堤は無用の長物と切って捨てる特集記事を世界に配信しています。癒着の構造についても、切り込んでいます。日本の大手新聞社もニュースソースの後追いを始めています。
http://ameblo.jp/fuhitoshimoyama/entry-11074225764.html
大槌町の復興計画をつくった東大の中井佑教授も自らこう述べています。
「防潮堤のような防災構造物には、たとえば100年に一度という規模の自然力に対応することが求められる。つまり、防潮堤の規模や形を支配するのは、 100年の時間スケールで一回程度起こりうる非日常事の論理である。一方、都市計画やまちづくりは、残りの99年と364日をいかに豊かに生きるか、とい う日常の論理に軸足を据えなければならない。その日常のなかに、いかにして100年に一度に対する備えを織り込んでゆくかが、勝負どころである」。
不幸だったのは、震災直後、この”非日常の論理”が復興の議論を支配していたことでした。あれだけのことが目の前で起きたのだから仕方がないことだったと 思います。早期の復興計画策定を求められていた行政にしても、他に選択の余地はなかったのかもしれません。しかし、震災から2年半が経過し、被災者も冷 静に”日常の論理”で自らの暮らしやまちづくりを考えることができるようになるにつれ、防潮堤への疑問の声が地元で広がってきました。
中井教授はこうも言っていました。「結局、防潮堤というひとつのパーツだけを切り出して独立的に検討する、という方法の限界なのである。非日常のなかに閉じた論理が高度に完結すればするほど、日常の論理と相容れない対立点がむき出しとなる」
まさに、この対立点がむき出しになってきたのが現状ではないでしょうか。では、この対立点をどのように乗り越えていくのか。言い換えれば、どのように合意 形成をはかっていくのか。ここが行政も住民も知恵の絞りどころなんだと思います。大槌で住民が立ち上げた復興まちづくり住民会議も、この問題意識から始まりました。
今さらという人もいますが、ここを乱暴に進めていけば、将来、「地域破れて防潮堤あり」という取り返しのつかない事態を招いてしまうことになりかねません。それが北海道奥尻島の復興から得られる教訓でもあったはずです。
◎岩手日報
14メートル防潮堤に疑問の声も 大槌・復興住民会議
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20131104_6
◎毎日新聞
住民がまちづくり会議 防潮堤に議論集中
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20131104ddlk03040066000c.html