雪で洗われた煉瓦の歩道に一羽の鳩が、夢中になって食べ物を探していた。近くの公園は雪に埋もれていた。雪の上に鳥の食べ物はない。地表といえばコンクリートかアスファルトかどちらかだ。私はいつ来るか分からないバスを待っていた。
ここにはお前の食べ物はないよ。
私はふと自分が昼食用に買ったアンデルセンのパンを思いだした。これをちぎって鳩に上げれば飢えはおさまるのかもしれないと思った。
雪でダイヤが狂っている。バスを待つ行列は長く続いていた。私は列の先頭にいた。そこで列から抜けて袋からパンを取り出しちぎって鳩を静かに追い掛けた。けれども鳩は飛び去ってしまった。
私は鳩のいない道路にちぎったパンをさらに小さくして、周囲の目をはばかるようにこっそりといくつも投げた。私はバスの列に戻りはせずオフイスまで長い富坂を上った。こんなことは気まぐれでちっぽけな感傷に過ぎない。
オフイスに着くと軽井沢の降雪が99㎝と軽井沢の友人からメッセージが届いていた。昨日はスマホもタブレットもオフイスに置いたまま帰宅したのであった。99㎝は気象庁の公式記録で観測史上最大の降雪量であった。胸の近くまで雪は降り積み上がり、まったく未知の世界だと記してあった。明日軽井沢へ行ってみたいと思いが湧きたった。
軽井沢で冬を越す小鳥たちは、冬に食べ物が入らなくなる。心優しい住民たちは鳥のエサをたくさん買い込んで庭のエサ台に置いている。春になって虫たちが出て来るまでの間、軽井沢町に住む鳥は人間の世話になる。
後ろの森に住むリスたちを追い掛けてネットで公開している知人もいる。これは立派なリス観察日記だ。でもこの大雪でリスや鳥のエサ台も埋もれてしまった。リスも鳥もしばらく森の中で厳しい生活をするだろうと彼女はブログに示している。
自然と向き合って暮らしている人たちには感傷がない。感傷に浸っている時期はとっくの昔、幼児期に通り過ぎているのである。田舎に住む子供たちは平気で鶏を絞め殺し羽をむしり取る。
野鳥が美しい声で鳴けるのは厳しい冬を経験したからだと思った。野鳥に感傷の心などなかった。
早すぎる花粉症が始まったのか。私は急に鼻がむずむずし始めて天地に轟くようなくしゃみをした。