私は大きな間違いをしていたようだ。どこからこの道に入り込んでしまったのだろう。昨日は夜中までそのことを考えていた。
私は、いままで現象を追わず、現象が生じる根っこを探し求めてきた。分かりやすく言えば花を追いかけないで根を探していた。それはいつでもぶれず、原理原則を追いかけてきた自分自身の生きざまになった。
現象は・・・最後は死滅する。椿の花がぽとりと首を落とすようにして落花するように、春の沈丁花がいつの間にかあの魅惑的な匂いを発さなくなるように、現象の究極は死滅である。
私は311東北大震災の直後に起きた大津波が東北地方を襲うテレビ画面を見て、人もまた一現象に過ぎないと思った。
いま地球上に68億の人がいるのなら、68億の現象がある。現象を死滅させるのは、運命が行う仕事であり、それは生き物の定めであると思っていた。
人もまた現象であると改めて思い知った私は、社会を変えてしまうような仕事を、自分の専門分野で残して、死滅しようと覚悟した。
それから相当な無理をして、自分を追い詰めながら考えることをやめず、3年の期間を使って世界のどこにもない新しい営業支援システムが誕生した。この仕組みは、営業活動そのものを変えてしまうほどのインパクトを持っている。
ここまでは正しいと思っている。私の過ちは、この後である。私は、恐ろしくも私の死滅が先か、私の仕事の完成が先か、どちらが先にゴールをするかと、運命にスピード競争を仕掛けたことである。
自分を追いつめて相当に無理をしたことも、運命とのスピード競争に勝つためであった。
私は、死より早く仕事の完成をと願っていたが、そうではなく、運命と二人三脚で死滅への道を急いでいたことをふと気が付いた。それもかなり昔から。なんと観念的であったことか。
私は死滅することを怖れているわけではない。私は生命に限りがあることを怖れているのだ。だからスピードが必要と思い込んでいた。それは運命の思うつぼであったことに気が付いた。
運命に競争を仕掛ける傲慢さは、私の運の強さに影響している。私は交通事故に何度も出くわしているが、いまもこうしてなんでもなく生きている。声帯の片方を失うほどの大病をしても、二つを失っていないからわずかな不自由を我慢すれば、例えばカラオケで上手に歌うことだけをあきらめれば、普通に暮らしていける。つんく♂が声帯を摘出したニュースを知れば、その痛みは自分がかつて体験した同じ痛みであることを思い浮かべることができる。他人の痛みを我が痛みとして分かるようになったのも体験をしたからである。
私が水晶体の毛細血管が切れて黒雲を背景に黒龍が東備回っているような体験をしていても、まもなく直ることが約束されている。
水晶体からの焦点を結ぶ網膜のわずかな一か所が切れていれば今頃は片目が失明であったのに・・・こうして不幸中の幸いに恵まれて、そのおかげで変な自信が付いてしまい、私はとうとう運命に競争を仕掛ける羽目になり、その結果、運命は私を道連れにして死滅に向かって進んでいる。と私は思ったのである。
人間はいずれにしても死滅するわけだが、運命に逆らうには、自身の健康を第一にするしかない。肉体の健康ばかりではなく、精神の健康もある。死滅する時をできる限り遅らせるには、残念ながら人は、身心の健康な状態を続けるしか方法はない。
運命と二人三脚で走るのではなく、運命よりも先に走ることである。どちらが先に駆け着くかと考えるのではない。
結局のところ、人間は現象に過ぎない。現象は、最後はかならず死滅する。それは定めである。だからと言って死を恐れることはいけない。生には限りがあることを人は怖れるのだ。人ができることは生を長続きさせることである。これができた時に、人は運命から逃れることができる。
やがては死ぬのだが、あとからついてくる運命に向かって、笑ってやればよいのだ。そうして追いつかれたら、さぞかし満足した死滅の仕方を迎えることができると思う。
普通は、夜中に考えたことは、朝目覚めると忘れるか、つまらない考えをしたものだと落胆するのだが、どういうわけか、当日の夜まで憶えているので、私の旅の寄り道に描いた次第である。
今日はオフイスの片づけ。明日は午前中執筆で、午後は片付けの再開。月曜日は業者が入り、翌日にかけて事務所内を一新する。