運命は人間だけを死滅させるのではない。地球上にあるすべてのものを死滅させる。生命だけではなく鉱物でさえ死滅させる。それが運命の正体だ。
運命とはよく名付けたものだ。まさに命を運ぶもの。それは地球と月と太陽と、時折参加してくる小惑星がつくり上げた仏教哲学である。
宇宙は個の生命が抱える課題を問題にしない。四つの星の運行によって構築される五大~地・水・火・風・空、こそが運命の源である。
運命がつかさどる究極は誕生と死である。運命は決して残酷ではない。人には何度も出会いと別れを繰り返させ、死滅への訓練をさせている。誕生と死、愛と別れは同意語である。いとしい者との別れは人を悲しませる。時に悲嘆にくれることさえあるが、運命が永遠の別れを迎える訓練をさせているのである。苦労をすると成長すると言うが、成長とは死滅する予行演習を重ねた結果、諦観に似た腹のすわりができてくる状態を言っている。
モノは死滅するとどこに行くのだろう。死滅した生き物は五大のいずれかに戻っていく。海で死んだ者は水に戻り、山で死んだ者は土に戻る。火葬されたものは火に戻り空に戻る。風葬されたものは風に戻る。
我が家のモクレンは死滅し、土に還ろうとしている。シラサギのような純白な花弁は、落下し、土の色に変わろうとしている。
これが究極の運命が見せる正体である。
運命は地球と月と太陽と、時折小惑星が参加してつくり上げている運行そのものである。地球は自転と公転を繰り返している。モノは毎朝新しい生命を目覚めさせ、夜にはすべての生命を睡眠という名の仮死状態に運ぶ。こうして地球は日々生死を繰り返している。