5月20日は恩師の命日だ。18歳から逝去されるまで交流は続いた。二人でマレーシアのペナン島、クアラルンプール、、シンガポールの旅にも出た。沖縄にも一緒に行った。私が入院していた時は良くお見舞いに来てくれた。沖縄の居酒屋で、食べ物を飲み込むと食道が痛いと打ち明けられた。家内にもまだ告げていないと言った。君が入院した病院が良いと言われ夫人と日赤まで一緒に行った。
食道がんであった。夫人から、本人は生きようとしているのでがんであることは伝えていませんと報告を受けた。シンガポールと沖縄で撮影した写真を比べると明らかに沖縄で撮影した写真は病的に痩せていた。わずかの時間でガンは進行したのだ。
当時は青山にオフイスがあったので、クルマで通勤していた。日赤病院までは近いので時間があれば病院に行った。
しばらくして社員旅行でシンガポールへ出かけた。
帰国して成田から自宅へ電話をすると「先生が亡くなった。昨日が通夜。今日が葬儀。あなたが来るのをぎりぎりまで待つ」とメッセージがあった。私は旅行服のまま自宅に駆け付けた。顔は小さくなって病気と闘って亡くなった死に顔であった。その後、雪谷の葬儀場で火葬されている途中を窯の外に立って見送った。
学生時代から毎年一回ゼミナールのメンバーが集まって恩師を囲む会が開催されていた。一年も中断することなくその会は今年も開催される。命日の近くにある土曜日がだいたい開催予定日であったがいまは命日その日が開催日だ。
恩師は65歳で他界したが、弟子たちは恩師の歳を越している。常連メンバーと変動メンバーとで毎年20名近くが集まり、墓参する。住職が読経して、我々は線香を上げる。それから小料理屋の二階で懇親会をやることがコースになっている。
以前は体の不調報告と、時には手術報告、孫の自慢話が中心であった懇親会も、いまはそんな話題は出ない。今年も誰一人欠けることなく出会えたとの喜びに満ちた挨拶が多い。
私は、なぜかこうした話とは波長が合わない。
死ぬまで活きようよ。いまの瞬間を生きて行こうよ。こういう挨拶をすると場違いだ。BMWのM6に乗ってね。おもしろかったよとの報告も場違いだ。私の考え、やっていることのすべてが場違いなのだ。
それでも長く会社務めをして終えた人と、独立して生きている人との違いは許容度を以っていなければいけない。、
長生きする人は体の数値データが良い人ではない。人とつながっていて笑顔を絶やさない人なのだそうだ。
それが正解だろう。
この週末はクルマで軽井沢へ行く。友人の画家が追分の文化発信地「油や」で個展をやっているので寄ってきたい。
カンパニューラの花にはまだ早すぎる。5月20日ころは自然がいちばん美しく輝く時だ。自然に触れ合うチャンスを生かさないと。一瞬を感動をする生き方を何回も重ねること。死んでしまったらそれで終わりだ。苦も楽も悲しみもない代わり歓びも感動も何もなくなる。
恩師はそんなことを自分の死を以て教え子に教えて続けているのかもしれない。