親しい画廊の親父から、見て欲しいと電話があって、オフィスまで来てくれた。風呂敷で包まれた絵を持参してきた。
「うちの昔からの顧客がバブルの時にピカソの素描を300万円で買ったそうだ。ピカソの素描はわからないので見て欲しいんだ。いまは300万円では無理だよと言ったら100万円くらいにならないかというんだ。それも無理だろうと返事をしたんだが、昔からの顧客なんで・・・預かって持ってきたんだ。まずは評価して欲しいんだよ」
もちろん、気に入ったら買ってくれ。いくらなら買うか?という意味で言っている。
彼が風呂敷を開いて出したものは6号サイズで、ピカソが少年愛を描いた名品であった。絵はピカソに間違いなかった。サインはオレンジ色の色鉛筆で書かれてあり、本物であった。何よりも額装が素晴らしかった。若緑色の高級フレームで、絵を引き立てていた。
私は親父に向かって刑事コロンボのようにこう返事をした。
「確かにピカソの絵で、、いいですね。しかし100万円と値付けになると疑問ですね。まず素描というけれどこれはリトグラフでしょう。そうでなくてもこれは刷り物でしょう。
素描と言われてもどこにも鉛筆や木炭の痕跡がないじゃないですか。リトなら普通は通し番号が入るはずだけど、これには入っていない。あとおかしいのはサインだけが色鉛筆であることです。
おそらく、ピカソ自身がこの絵をたくさん刷っておいて、訪ねてきた顧客などに目の前で、手元にあった鉛筆でサインをして差し上げたものだと思いますよ。価値ですが5万円から10万円の間が妥当だと思いますが」
親父は怒ってしまった。
それはないでしょう。こう言ってから、持っている人の素性が正しいことと、美術品のコレクターであることと、鑑識眼は高い人だということを加えた。そういうならピカソが分かる同業に見て貰いますと、絵を風呂敷に包み、さっさと帰ってしまった。
それから三日後に電話が入った。
「あなたの見立て通りでした。まったく同じことを言われましたよ」。
この話はここまでである。