梅雨入りの昨日。何気なく庭を見たら一頭の揚羽蝶が休んでいた。中学生時代から蝶を追いかけていたので蝶を追いかける目だけはいまでも案外と研ぎ澄まされている。早速スマホをもって庭に出て撮影したのが上の写真だ。近寄ったら逃げてしまうので、丸ノ内線が通る音がした時だけ少し動いて撮ったものだ。それを二本指を使って画像を広げるだけできれいに拡大できた。
この揚羽蝶はナミアゲハ蝶。春型のメスだ。
気温が下がると蝶の動きは極端に鈍くなる。六月の雨が降っていたので木陰に入って完全に休憩体制をとっている。無防備な状態だ。こんな時に鳥に襲われたら。命は終わりだ。
ナミアゲハのメスは案外とじっとしている。飛び回っているのは大体がオスだ。蝶道という蝶の飛ぶコースがあってそこをぐるぐる回る。
小さな庭にも蝶が飛んでくる。
ここ文京区には近くに小石川養生所の跡地に造られた植物園、水戸藩の庭園後楽園があるので小鳥や蝶は多い。
しかし、蝶は卵を産むために必死になって食草探しをしている。その途中でわが庭にも蝶が飛んでくる。くるりと庭を回って食草がないことが分かると、すぐに他へ飛揚してしまう。
幼虫は圧倒的に低い確率で成蝶になり、また圧倒的に低い確率で産卵をすることができる。ナミアゲハの食草は、柑橘類、山椒、カラタチなどだ。都会にはそうざらにはない。
命をつなぐことのむずかしさに心が痛む。自然界は厳しいところだ。
私は、静かに静かに蝶から離れた。ひと時の休息を醒ましてはいけない。オフィスに上がって庭を振り返っても蝶は動かずにいた。それで少し安堵した。
自然の厳しさに対して人間は文明を発達させて対処した。しかしそれとて自然の厳しさに勝利したわけではない。勝利などできるわけがない。
人間は、人間以外の生物に対して何を祈れば良いのか、私はわからないでいる。
私は、いま立ち止まっている。これまで駆け足で走り抜けてきたが、人生で初めて立ち止まっている。
これからの人生を、仕事を、生き方を、価値あるものにするために立ち止まっている。これから全力で駆け抜けるために立ち止まっている。
立ち止まり、これまでやってきた顧客マーケティングを整理し、体系化し、デジタル時代に対応する仕組みとしてまとめている。立ち止まらないとできない仕事だから立ち止まっている。
立ち止まるといろいろなことが見えてくる。今日はナミアゲハ♀が梅雨で休んでいる姿をつぶさに観察できた。一つの命が懸命に生きていることを見続けることが、何が大切なことかを知るトリガーになると思う今日この頃である。