卵を持った雌蝶が産卵する食草が見つからなかったらどうするのかと心配している。そんなわけで山椒の木を一鉢買って庭に置いてある。
まだ夏型の雌ナミアゲハは登場してこない。庭にくるのは雌蝶を探す雄蝶ばかりだ。だから用意した山椒には目向きもしない。
産卵したら大変だ。大食漢のアゲハ幼虫は小さな山椒の植木鉢を何鉢用意したらよいのか。それに体を触るとニ本の赤い角をぬっと出す。これが柑橘系の強烈な臭いだ。
ここらには柑橘の木はあまりない。だから食草を用意する。あと数週間で雌蝶が飛んでくる。
昨日は坂口安吾の堕落論を読んだ。面白い。堕落こそ人間の本質だ。だから人間は堕落せよというわけだ。読み込まないと読後感は出ない。
私は何かに生まれ変わろうとしている。間違いない。誰かが私のために山椒の木を用意してくれている。何に生まれ変わるのか、なんとなくその行くえの到達点が見えてきている。
人間は何回でもさなぎになれる。さなぎになったらその次は蝶になれる。そしてまたさなぎになれる。
おかしな生き物だ。
坂口安吾が語る堕落とは劣化のことではない。人間は変わるということだ。だから私は卵を持った蝶が産卵せずに死なないように産卵場所を準して蝶を待っている。
次には鳥のフンのような幼虫をきれいな緑色の高令幼虫に、そして健康なさなぎに育てる仕事が待っている。山椒は育てるのが難しい木だ。水を与えすぎると枯れる。不足すると枯れる。日陰において水を枯らさないようにする。
そんなことを考えながら自分が生まれ変わっていくことを考えている。