わがオフイスには竹で編んだ専用の裏木戸がある。この木戸をくぐってオフイスへ訪ねてくる人もいる。近所の人が顔を出すようにこんにちはとくる。私はすっかりうれしくなってしまう。
今日は人の代わりに沈む太陽が木戸から顔を出した。
人は木戸をくぐって入ってくるけれど、私は木戸を開けて外へ出たことはない。偶然にも私はこんな環境を借用して仕事をしている。
今日は大手製薬会社に行ってデジタルマーケティングの話をしてきた。夕方になったら市ヶ谷に出かける。
なんてことはない。腕時計の電池交換だ。使用している時計のうち動いていた最後の一本が止まってしまったので電池交換に行くしかないのだ。
一時期、時計に凝ったことがあった。しかし一つあれば十分だという結論になった。ある有名ブランドの時計は重くて、私のか細い腕には重荷であった。けれども3年に一度分解掃除をしなければならず、ほとんど使わないのにゼンマイが切れて、6ケタの修理代金を支払っていた。娘たちもそんなお金がかかる時計はいらないとなって、不要論が出た。そこで思い切って売ってしまった。なんとシンガポールで買った価格より高く売れた。それはうれしいが使わずして掛かった保守料を差し引いたら、決してうれしくはない。
今残っている時計は極薄のものばかりだ。ところがいずれもブランドのクオーツ金時計なので、電池交換が5000円、オーバーホールは50000円かかる。なんで普通の時計は600円で、この時計は5000円もするのかと文句を言ってみても、それが嫌なら交換しないでお持ち帰りくださいと言われてしまう。ところが市ヶ谷の店はどんな高価なブランドクオーツ時計でも420円で電池交換してくれるのだ。
それだけではない。娘のブランド時計は、どこかに電池交換で持参したら「中の電池が腐食して機械部分まで及んでいる。修理代15万円」と言われて戻ってきたという話を聴いて、ついでに市ヶ谷に持っていったら、そんなことはない。腐食の話は全部ウソ。420円の電池を交換したら直ってしまった。
というわけで市ヶ谷へ出かけてもコスパは十分というものだ。後楽園駅から二つ目が市ヶ谷駅、それから都営地下鉄に乗り換えて曙橋で降りて徒歩5分で店に着く。二個で900円なのにタクシーで行く気にもならず電車で行く。
その後、日本橋マンダリンホテル前のジョージジェンセン本店で、もう一つの金時計の電池交換だ。この時計はロスのサースコーストプラザでセール品を購入したものだ。確か10万円くらいであったと思う。日本での定価は40万円だったから破格のセール品である。
薄くて軽くてジェンセンのシンプルなデザインが気に入っている。
こちらの電池交換費用は7000円だが、電池の取り付けが普通ではないので市ヶ谷では手に負えず、ジェンセンの直営店に持参しなければだめなのである。7000円払えばSEIKOの頑丈な新品が手に入ることは知っているが、命を与えればジョージジェンセンの金時計はまた動いてくれる。損得の問題ではないのだ。集中してやってしまった方がよいので、今日は涼しくなる夕方から、3つの時計の電池交換日と決めたわけである。
結局のところ、物は愛着ある自分にとっての逸品を一品だけ持てばよいということになる。
この木戸は、いまは木戸の形をしているけれど、ばらせば竹の切れ端になり、放置すれば土に還ってしまう。般若心経でいう五蘊皆空の世界だ。
太陽は生物に命を与えるが、そして万物は満ちているように思えるが、結局は五蘊皆空の世界を照らしていることになる。
生物は一瞬をアクションし続けながら存在している。人間も同様だ。