遠くからは赤い花が咲いているように見えた。だが、赤いテープが木の枝に巻き付いているのかもしれないと思った。近くに寄ったら赤い山茶花が開花していた。
花はもう若くはなかった。所どころに傷みがあってもっと美しい時に早く見つけてあげればよかったと思った。けれども遅かったということではなかった。周りにはいくつかの蕾がこれから花を咲かそうとしていた。散る花も若い蕾も連綿としてつながっているから、時間の流れの一瞬だけを捉えて遅かったということはない。
軽井沢はまだ雪にならず雨が降っていると、里人は便りを伝えてくる。浅間山が三回冠雪したら、里にも雪が降ると言い伝えがある。三回冠雪とは説明が必要だ。山の頂上がうっすら雪化粧をするが溶けて素の山肌に戻る。これを三回繰り返すことが三回冠雪だ。今年は四回冠雪をしたが里はいまだに雨である。故山にまつわる言い伝えは今年は当てはまらないらしい。
時間は流れ、万物は時間とともに流れている。万物の過去は暗闇の中にある。この暗闇の中を記憶しているのは人間と共に暮らして今も生きているモノや者の中にでしかない。万物は今の一瞬(ひととき)を生きるしかない。だから万物は一瞬を光り輝いている。
山茶花は今のひとときを輝いている。人が見つけなくても美しく輝いている。若くない花弁でも輝いている。誰のためにでもない。自分のために輝いている。