今年は久しぶりに人生設計を考えました。日本はだれもが百年生きる時代になる。人間はここを考えないと、やばいのではないかと思うようになりました。
65歳で定年退職し、あとは悠々自適と言ったところで百年生きるんですから、あと35年を悠々自適、ゴルフ三昧、釣り三昧と言ったところで、どうなんですかね。私は、そんな生き方どう考えても持たないですね。
というわけで目標と希望でも、夢でもいい。何か人生の希望を持たなければいけないと考えて、久しぶりに人生の設計を考えた次第です。
第一は、自然と接すること。これは重要なことで一番最初に考えた。でも人類は自然との闘いに負けないようにするために文明を発展させてきた。それでも自然は相変わらず厳しい。軽井沢に住む友人二人がそれぞれ倒木を体に受けて、一人は膝の骨折で済んだけれど、もう一人は大骨折で、全身ハードギブス、骨盤を支えるねじが6本入っているけがを負った。
さらに今年の寒波で軽井沢は雪に埋もれた。けがを負った彼らも私有地にはラッセル車は入らないので雪に埋もれて外界と断絶した生活を余儀なくされている。
しかし自然に触れないといけないことは確かで、これは第一に挙げておく。
第二は、相手の気持ちになって考えようということだ。
ここまではわかる。
一番大事なこと。それは今できることをやる。一番やりたいことをやると思い浮かぶ。ここまではだれでもわかる。一番好きなことと、やりたいこととは何かが分からない。と思った。
人間は一瞬(ひととき)しか生きられない。やっぱりこれだよなと思ったのが、中山大三郎先生が作詞をして、浜口倉之助先生が作曲をした人生いろいろ。島倉千代子さんが歌ったが、テレサテンさんの「人生いろいろ」はいいしうまい。
「死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ
バラもコスモスたちも 枯れておしまいと
髪を短くしたり 強く小指をかんだり
自分ばかり責めて 泣いてすごしたわ
ねぇおかしいでしょ 若いころ
ねぇ滑稽(こっけい)でしょ 若いころ
笑いばなしに 涙がいっぱい
涙の中に 若さがいっぱい
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
恋は突然くるわ 別れもそうね
そして心を乱し 神に祈るのよ
どんな大事な恋も 軽い遊びでも
一度なくしてわかる 胸のときめきよ
いまかがやくのよ 私たち
いまとびたつのよ 私たち
笑いばなしに 希望がいっぱい
希望の中に 若さがいっぱい
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの」
作詞もハマクラ先生かと思っていたが中山大先生でした。
ハマクラさんとは少し縁があって、若いころ(たしか23歳~)マヤンというシャンソニエで、お互い常連だったものだから口を交わしたコト二度三度。その後もばったり空港であったり、ハマクラ先生が声帯を取ってしまったあとも出会ったりして、縁が続いたわけです。わが永田力先生はハマクラ先生と朋友の仲で、テレビの黎明期にCM制作会社「日本天然色映画」で永田先生は画像担当、ハマクラ先生は音楽担当だったわけですから。一方永田先生とは、亡くなる時までお付き合いをさせていただいた仲です。そんなわけで、ハマクラ先生の作品は大体追いかけていましたからこの歌の良さがすごくわかるのだけれど、やはり悟りの境地なんですね。
この歌のすばらしさは恋の奨めではなく、まず、「いまかがやくのよ 私たち いまとびたつのよ 私たち」にあるわけです。
さらに「笑いばなしに 涙がいっぱい 涙の中に 若さがいっぱい」そして「笑いばなしに 希望がいっぱい
希望の中に 若さがいっぱい」はいいですね。
何があっても、笑い飛ばしなさい。笑いのなかから若さと希望が生まれるんだよ。さあ、希望に向かっていまかがやくのよ 私たち いまとびたつのよ 私たち」という歌詞です。私たちとは人間のことです。
分かりやすい言葉を並べて人生哲学を奏でているところがすごい。でも悟りの境地です。人間を突き放して観察していないと、あるいは哲学していないとこのような詩と曲はつくれませんよ。
私の三つ目は、悟りの境地から抜け出そうということです。人間は悟ったらおしまいだということです。悟りに至るプロセスがいいのです。それを中山大先生は咲き乱れるのと言い放っているわけです。
ジョブズは「ハングリーであれ、ばかであれ」といっていますよ。これですよこれこれ。悟るな、傲慢になるな、悲観的になるな、マイナス発想をするな・・・・ということです。ハングリーであれば、馬鹿になれば人間はいつでも成長することができるともいえます。
四番目は、仕事をやりながら、次の仕事の準備をし始める。つまり百年を生き抜き、息抜く準備を始めるということです。年齢にふさわしい仕事をやれということです。それ以上に自分がやりたいこと、集中できることをやれということです。
すると戦う相手は自分であることがわかってきます。
今年はこんなことを考えた正月でした。
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