春の雨はやさしいと小椋佳さんは謳った。今日はその雨も止んでうららから日和になった。今日は勉強の日だ。まもなく2本のブログと1本のメールマガジンを発刊する。その母体となるホームページの原稿が終わって、昨日はメールマガジン第一号の原稿を書いた。
タイトルは統合についてである。週刊服部隆幸のPINOSOLAブログ、日刊服部隆幸のPINOSOLA語録(ブログ)、週刊服部隆幸PINOSOLAマガジンだ。
第二号のテーマは主体性と従属性の統合である。私の5年間にわたる模索は一つのメソッドを産み出した。そしてそのメソッドに名前を与えた。それがPINOSOLAだ。
PINOSOLAの設計理論は、哲学から派生している虚学によって組み立てられている。統合は社会科学で学んだ。主体性は哲学の分野に入るが神に登場いただくことで神学に及ぶ。
オフイスには二つのデスクがあってPC用と読書調査用に使い分けている。今日は自分が植えたチューリっプの花を見ながら読書用のデスクに向かってネットから拾った論文を印刷して難解な文章をいくつか読んでいるが、どれもこれも終わってしまっているとの読後感があって、むなしい。
言語が持つ機能性と示唆性の力によって、第一歩から人間は幻想世界の中に浮遊することになる。言語が作り上げた幻想はこれから無残にうち砕かれることになるだろう。
私の仮説はここから出発した。デジタルマーケティングは多くの対立し不調和な要素を統合して目的を達成していかなければならない。社内社外の拮抗する要素を見つけ出し統合しなければそんなシステムはすぐに飽きられる。
主体性も幻想であるとするならば諸学は幻想であるということになる。
今の哲学者はそれからどうなると語って欲しいのだ。目の前のチューリップといる空間が言語でだまされた欺瞞の世界だとしたら、色彩さえも言語でつくり上げた幻想だとしたら私が言葉のない古代に生きて、初めてチューリップを見たらどのように反応するだろうかと考えている。
人類が滅びた地球に、偶然生まれた人類は地球を美しいと思うだろうかと考えている。主体性が幻想だとしたら次はどうなるかを考えている。主体性は従属性と拮抗するとしたら、どのように統合していけばよいかを時代背景も含めて考えている。
このうららかな日に、私はバッハのバイオリン協奏曲をちょっといいイヤホーンで聴いている。No Music No Lifeだ。