執筆で日々追われている。次々と執筆が続く。あたりは夏の風景になった。それでも執筆は続いている。
同時に、最近は、本を読むことが多くなった。今までは通勤の行き帰りにはスマホで青空文庫を読んでいたが、今は維摩経に凝っている。
仕事の必要性から統合作業論を打ち立てた。私の統合論メソッドは相反することを統合し続け、分裂したものも統合し、「統合の最適化をつくり上げる手法」である。
その統合論と維摩経の説く内容がほぼ合致していた。慌てて二冊の維摩経を購入し読んでいる次第だ。
昔、父が死んだのち、母親は仏壇でお経をあげたいので教えてくれと私に所望した。そこで般若心経の経典を買って一字一句ルビを振って渡した。それから経典を広げては閉じていたのだろう。ボロボロになって擦り切れていた。
母親が、死ぬ二週間前に入院した。すぐに病院から苦情が来た。おばあちゃんが毎晩大きな声でお経をあげて困っている。入院患者から縁起ではないとお怒りをいただいている。
その母親だが、病床で「どいてよ。隆幸どいてよ」と叫んだ。どうしたのと問うと「蓮如さんが迎えに来ているんからそこをどいてよ」としっかりとした声で言った。
病院の看護師にお経は釈迦の教えが書いてあるものだから悪いものではない。と言ったかどうかは覚えていない。でもそういったかもしれない。維摩経を読みながら昔のことを思い出していた。
小林麻央さんが死んだ今日。彼女はいい生き方をしたなと思っている。死を真剣に見つめた人だけが生を真剣に見つめていることができると改めて思った。34歳とは心残りもたくさんあると思う。命を交換できるなら立候補したいと心底から思ったがそれは単なる妄想に過ぎない。
維摩経を赤塚不二夫流に説明するなら、「それでいいのだ」に尽きる。
それでいいのだ。対立などは存在しない。それで調和しているという大慈悲だ。維摩さんは釈迦の弟子をことごとくやり込めるスーパー爺さんなのだ。
200万人の読者がいたという麻央さんのブログは、最後まですさまじいものであった。病気の陰に隠れて生きていると指摘されて、麻央さんは覚悟し病気の姿を写真にして世間にさらけ出した。それから苦しみや悲しみと同じだけの希望や歓びをつくって病で苦しんでいる人を勇気づけようと実行した。ブログで今日一日、今の一瞬をどう生きるかとの答えを見せ多くの読者が共感し勇気づけられた。
それは七転八倒した苦しみをさらりと言ってのけ、座薬を使ったら座れるようになったと元気な様子を見せ、口内炎の痛みより飲んだジュースのおいしさが勝っていたとジュースを愛でたというポジティブな実行力であった。。私はここに維摩居士の生き方を見出すのである。
苦しみと歓びを統合し、一体化した世界をつくり上げている。自分の都合を限りなく小さくして、他人のために今の命を精一杯使っているからである。
病の淵にあっても、心ひとつで人間はかく生きられる。今の一瞬(ひととき)を精一杯生きた麻央さんは素晴らしい人生を過ごしたと心から思うのである。麻央さんは私の師匠になった。
麻央さんはこうも書いている。麻央さんのブログから引用
人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
5年後も
10年後も生きたいのだーっ
あわよくば30年!
いや、40年!
50年は求めませんから。だって
この世界に 生きてる って
本当に素晴らしいと、感じるから。