山下菊二の代表作 作品名「あけぼの村物語」山下菊二図録より 1953年作
日本にもこのような画家がいたのか。このような画家とは山下菊二画伯のことだ。ダリの影響を受けたシューリズム作家だ。山下菊二画伯が描くシューリズムの絵も実によいが、この作品を見る限りダリの姿は消え去っている。とはいえどこかにシューリズムの影響を受けた破天荒な構図ではある。
曙事件は、1952年に現在の身延で起こったテロ事件を題材にしている。テーマをもってこれだけの画力で表現する技術はあっぱれと言える。
だが日本的な、集落の中で描かれた絵だとも思う。
ゲルニカは、スペインでも見たが、その時はあまり理解できなかった。しかし今は違う。世界中で起こったどの戦争にでも当てはまり、どの地域の人でも共通した普遍的な最上位コンセプトでゲルニカの絵を描いていることがわかったのである。
ピカソの絵は、青の時代が好きだがゲルニカが頂点であったと思う。ゲルニカでピカソは画家のエネルギーを使い果たしてしまったのかもしれない。それほどの普遍的な絵であることがわかったのである。
それに比べると、この絵はあけぼの村の出来事であって、真の理解には日本的な情緒や日本がたどってきた歴史の解釈を必要とする。山下菊二の絵を追いかけるとは、描かれた時代背景を追いかけることに他ならない。
日本的な集落とは陰湿な人間関係を持った集落を指している。
この事件とは、山梨県巨摩郡曙村(集落)に1人の権力者が山林の権利をもって集落の首領となって権力を振るっていた。農地改革後もその権力を使っていた。ある時この権力者の家に強盗団が押し入り権力者や家政婦などに暴行を加え金銭と籾を奪って逃走した。公安警察は共産党員を含む8人を逮捕。共産党は公安警察によるでっち上げ事件として関与を否定したが、最高裁で懲役8年の判決を受けたというもの。
そのような題材を知るとこの絵の見方も変わってくる。
だが、事件の内容を知らなければ、この絵を真に理解することはむずかしい。
ゲルニカと比較するのは山下菊二画伯に対して酷すぎるが、これだけの力量がある作家だから世界どこに持っていっても通用する絵を描いて欲しかったと思った次第である。
来週は、時間を見つけて桐生の大川美術館を訪ねる予定である。
目的は2つ。一つは版画家であり彫刻家でもある浜田知明の版画特別展を見ること。二つは桐生が生んだ天才的テキスタイルデザイナー新井淳一の作品を見ること。新井淳一は本年9月25日に85歳の人生を終えている。新井淳一の作品でぁるマフラーを持っていたが、惜しげもなくプレゼントしてしまった。このマフラーは長さが4メートル、幅が1.5メートルもある巨大なマフラーだが縮むようにできていて空気を包むのでとても暖かい印象だけが残っている。