静かな静かな朝食であった。時間は流れてはいなかったときの軽井沢の思い出だけが流れ、私は軽井沢の中にいた。
冬は6か月間も軽井沢にいて、残る3つのシーズンは駆け足で通り過ぎる。遊びほけるだけならそれでいい。地球が太陽を一回りするその半分の時間を、慣れない旅人が凍結した真冬の町に住みついて生きることができるのか。
私はただ軽井沢にあこがれていた。
それは一つの土地を愛したことから始まった。
家を建てる計画が育って、軽井沢の名工務店に声をかけた。棟梁は、この土地の性格を良く知っていた。「ここはだめだ。この土地だけはよせ。土地のあちこちに葦が生えているだろう。すぐ下に水が流れている。家がすぐ朽ちる」。これだけを言って黙ってしまった。私は棟梁の真剣なまなざしを信じて、建てることをやめた。
建てない土地はいとおしく、私はますますこの土地を好きになっていった。
軽井沢の、この森に春セミが鳴くころ、氷河時代から命をつないでいる薄葉白蝶が乱舞した。大好きな蝶であった私は、森のまま持っていようと浅はかな夢に置き換えた。夏タイヤでは走行ができなくなるまで週末は、一人軽井沢で過ごした。1時間ほどは、折り畳みの椅子に掛けて静かに流れゆく軽井沢の小さな森に身を置いた。一人の女性を愛するように、軽井沢のこの土地を愛したのである。
胸が締め付けられて、呼吸ができなくなるほどの衝撃があった。
こんなつらい別れをするなら手放さなければよかった。
その日から後は、軽井沢を訪ねることはなかった。10年の歳月が時間を風化させるまでは思い出すこともできなかった。
私はいったい誰を愛したのだろう。何を愛したのだろう。
あと70日で1年半の仮眠に入る万平ホテルのダイニングで、サラダモーニングと名前が付いた朝食を前にしながら、時間は流れていなかった。軽井沢の思い出だけが流れていった。
私の胸を締め付けた愛の正体は何か。答えがないまま軽井沢から戻って数日を過ごした。
まだ、茶色い肌を見せていた浅間山に、初冠雪があったとニュースが入ったのは、それから時が1週間も流れていないうちであった。