若きころ、さる歳の初めであった。
私は初詣の列に並ぶ一人であった。
警察官が出動し交通整理をするほど、参道はお参りする善男善女で溢れていた。
五十メートル先に本堂は在った。列は乱れ混乱し身動きができないほどになっていた。どこまで到達すれば気が済むのかと私はふと思った。ふと思ったことが私の不運であった。
私は初詣の列が、賽銭箱に賽銭を投じ本年一年の無事安泰祈願をおこなう場所であることを知っている。民族の善き風習を否定するつもりはない。私の不運は、神や仏と、どこまで近づけば気が済むのかと、ふと思ったことである。私は人と神仏との距離を考えたのであった。賽銭箱のことはどうでもよかった。
大部分の群れは賽銭箱の前で手を合わせて祈願をして戻っていったが、その距離では満足できない人たちの群れがいた。その群れは昇殿してより神仏との距離を縮めて祈願をしていた。昇殿費用が別途掛かるわけであるが、そこまでしても神仏との距離を縮めたい人の群れがいた。私は列に並んでいてガラス越しに昇殿して祈願する人の群れが見えるのであった。
昇殿しても、もっと神仏との距離を縮めたい人がいるのではないかと私はその時思った。どこまで近づけば人は気が済むのだろうかと思った。多くの僧が荒修行をするのは、神仏との距離を縮めたいからだと、私は思った。俗人が神仏になれることはない。荒修行をしたとしても生きている人が生きたまま神仏になれるはずはない。
私は、昇殿した人がさらに飽き足らず神仏に近づくためには何をするかと思いを巡らした。きっと立ち上がって、ずかずかでも恐る恐るでもよい。神仏の像や、ご神体である鏡の直前まで近づくだろうと思った。最後は仏像を排して自らがそこに立つか、鏡を覗き込むだろうと思った。
釈迦が誕生してすぐに立ち上がり、天上天下唯我独尊と言葉を発したという逸話を思い出した。唯我独尊とは釈迦自身のことだと思っていたが、そのとき人は誰でも唯我独尊であると気づいた。一方、ご神体を覗き込んで鏡に映るものは自分自身の姿である。
神仏は自分自身である、いや、もう少し謙虚になって言い換えれば、神仏は自分自身の中にある。突然に私の想像力は飛躍した。神仏はおろか悪魔も、鬼も、聖なるものも、邪悪も、すべて自分の心に棲んでいると思った。私は初詣での列から離れた。日々平常の暮らし方が大切であると思った。一年に一回賽銭箱にお金を投じれば無病息災神仏に守られて安寧して生きていけることなど、ありえないことと思った。これは宗教問題ではなく生き方の問題であると思った。
母は病床にあって意識はほとんどなくなっていた。母は「隆幸、そこをどいてよ」と言った。私は母が唐突に発した言葉の意味を判らずに「え、僕がどいたら母さんはどうするの」と言った。「蓮如さんが外にお迎えにきているのよ。だから行くのよ。そこをどいてよ」母は確かにそう言った。母は信心深い人であった。だから真正直に仏を信じることによって仏と共に生き、その結果、信じてきた大勢の仏や名僧に囲まれて、導かれるように天上に昇っていったのだと思った。
いま、私は教団を信じない。教団は創設者を捻じ曲げて存在する。親鸞の教えを直弟子である唯円が書き残した歎異抄は本願寺教団の手で永い間隠匿された。歎異抄に書かれている内容が教団に都合が悪いことが隔された理由であった。
昔どこかの国のあるキリスト教団神父達は処女権を持っていた。村の娘が結婚するに際し処女であったかどうかを確認する権利であった。このような教団が巻き起こすうさんくさい話は枚挙に暇がない。私は釈迦の経を読むことはあるし、般若心経は諳んじている。旅先のホテルでは時間をかけて聖書も読むし仏典も読む。これまでどれだけの古刹を訪ねただろうか。それは形而上の興味を満足させるために費やしただけであって信仰の対象ではなかった。こういうことが経年と共に少しずつ判ってきた。
教団を信じず神仏の存在を信じないことによって神仏の施しとは無縁になっている私は、母を知る信心深い老人たちから親に似ないで信心がないとか仏様を信じなければ運が付かないと指摘されている。そう言われるほどに私は自己を律し知性を磨きあげることが必要と思うようになっている。私は仏を信じることによって得られる安らぎを求めない。
そもそも人は何故死ぬのか、死んだらどこへ行くのかが判らなかった時代に宗教は価値を持った。極楽と地獄があって宗教を信じない限り地獄へ落ちると教え込まれた時代には人は仏をすがる想いで信じた。極楽と地獄の概念を作り上げたことが、宗教が発展し、そして衰退する要因となった。生命の誕生や死について科学的に検証された時代にあっては人間に極楽と地獄は必ずしも必要な概念ではない。極楽と地獄を作ったことが施政者に利用され、人間の精神を時に不自由にする原因となった。作家の司馬遼太郎氏も、現代に生きる人に宗教は不要であると断言している。
私はすでに白州次郎に模して葬式無用 戒名不用を家族に宣言し家族は了解をしている。家内も誰からも呼ばれない名前をつけても仕方がないと同調し始めている。新年を迎えると私は安住を求めず常に創造し、闘い、何が起きようと同ぜず、自分を主体とした生き方をしている幾人かの先人や友を思い出し、自分もそう生きなければと諌める。これが私にとって毎年の初詣である。