西ノ京にある唐招提寺に出かけた。薬師寺と唐招提寺は一本の道でつながっている。
私はこの道を歩いて唐招提寺へ向かった。(画像クリック)
鑑真和尚(688年から763年)は唐時代の高僧である。遣唐使船で唐を訪れていた留学僧の栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から朝廷の伝戒師として来日を招聘され決意、5回の渡航失敗で失明し、6回目に成功する。以降東大寺で5年、唐招提寺で5年間、朝廷で受戒をされたと唐招提寺では鑑真和尚のプロフイールを説明している。
三蔵法師が不東の決意であるなら鑑真和尚は不西の決意であったのであろう。
不東とは「東はない」という意味である。
西の天竺(インド)へ向かう三蔵法師に、もはや東という地理上の存在はなかった。東へ向かうことは、目的を果たさずして戻ることを意味するからだ。
日本に向かおうと決めた鑑真和尚にとっては地理上の西はなかったに違いない。三蔵法師の歩んだ布教の道程を鑑真和尚は倣った。
金堂は平成の大改修中で拝観はできなかったが、その代わり新緑の庭は光り輝いて見学者をもてなすようであった。
鑑真和尚は揚州の生まれである。鑑真和尚を記念してふるさとから、揚州の花「八仙花」が贈られて、この花が咲くころだけ、八仙花の小さな庭が公開されている。八仙人とは中国の民話に出てくる漢鐘離、張果老、呂洞賓、李鉄拐、韓湘子、曹国舅、藍彩和、何仙姑で、日本に渡るとき一人減って七福神になったという説がある。5枚の花弁が8つ、小さな花を取り巻いている。
人生は一巻の巻物に似ている。毎日少しずつ巻物は巻かれている。存在するのは西だけであって、東という過去は巻き取られ、戻ることはできない。
私は唐招提寺の石畳を歩きながら、不東の重みを噛みしめた。