出船の姿はいつ見ても哀しさを伴う。ましてや親しい人が、この船に乗って世界一周をしてくるとなると、そこらの見送りと感慨が異なってくる。戦争にでる人を送るわけではないから船は無事に帰港してくるのだが、それにしても哀しさが残るのは日本人固有のメンタルなのかもしれない。(画像をクリックください)
この日、仕事の関係で、世界一周の旅に出る飛鳥Ⅱを見送ることになった。もちろん港横浜の大桟橋である。飛鳥Ⅱは、日本最大の客船である。51000トン。720名が乗れる。クルージングで世界一周とは超豪華リゾートホテルと一緒に旅をするようなものだ。居ながらにして船はゆるやかに地球を回り、乗客はホテルに暮らしたまま世界一周を果たすことが出来る。足腰が多少は弱くなっても実現できる究極の旅なのである。
部外者の私でさえ、出航の銅鑼がなると何気にこれほど胸が詰まる思いをするのか。この船には見送る親しい友も家族も、愛しい人もいない。それなのに胸が締め付けられるほどの哀しみが襲ってきたのは、この船の後ろにやがてピラミットが映り、自由の女神が映るからなのであろうと思う。
いまは電子化時代だから、たくさんの人が世界一周の船からブログを発信している。我々はPCを覗けば、飛鳥Ⅱがどこにいるのかが手にとるように分かる。飛鳥Ⅱを所有する日本郵船の子会社である郵船クルーズ株式会社が教えてくれなくとも、乗客がデジタルカメラで撮影したふんだんな写真を添えて世界に発信して教えてくれる。乗船客は開放的な海上にいて世俗から開放されている。このはしゃぎようは一体何かと思うほど伸び伸びと楽しんでいる。送る人間が涙を押さえているのに、出かける人間はウキウキとしている。きっと、見送る家族の頭脳は、手塩に掛けて育てた子供を見送る両親のようにあれこれ心配を想像しているのだろう。部外者の私は、過去の別れをトレースしてその上、マーライオンやピラミットやスエズ運河がかぶさって、旅をメランコリックに仕立てているのからだと思う。
私は75歳になったら世界一周の船旅をしようと計画をしている。それは小さな夢である。帰ってきたら好きな軽井沢辺りに小さな庵を建てて、薪を割り、草をむしり、時折りは美味いワインを飲みながら、晴耕雨読の暮らしをしたいと考えている。あるいはもっと好きな南の島で暮らすのかもしれない。こんなことを考えるようになったのも、世界一周の船旅を見送ったからである。