それなりに歳を経ると、一期一会の意味が深く理解できるようになる。知友を誘って小さな旅をするのも、どこかに一期一会の思いが働くからである。いつも会っていてもまた会いたくなる人がいるものだ。そんな知人を誘って一泊で旅行をしようと考えたのは気まぐれでもなく、寂しさからでもない。ただ一緒に旅行をしたかった。それだけである。
ちょうどその日、私は軽井沢で人と会う約束があった。それなら知友を誘って一緒に行こうと思いついた。しかし日帰りでは慌しい。私はつるや旅館の空き部屋を確認すると早速友人に電話を掛けた。つるやは芥川竜之介、室生犀星、菊池寛、川端康成などの文豪が長逗留した旅館として知られている。旧中山道沿いにあり、この道をまっすぐ進むと碓氷峠に至る。(画像をクリックしてください)
内部はこんな風だが、火災にあって建て直しをしている。
軽井沢は1886年(明治19年)たまたま通りかかったカナダ生まれの宣教師A・C・ショーによって見出される。当時は碓氷新道も出来て中仙道に歩く人はなく、しかも寒冷地の湿地帯であったから農作物は出来ず、軽井沢村は寒村地であった。ショーは英国キリスト教の宣教師であったがこの土地を愛し2年後には別荘を建てて宣教師仲間とともにこの地で普及活動を行う。その教会が上の写真だが、復元されてつるやのすぐ近くにある。
教会の裏手にある軽井沢別荘第一号となったショーの別荘である。(復元)
内部は開放されていて、こんな部屋がいくつもある。上の2枚は同じ部屋を写したものだがストロボを使うとこうもイメージが変わる。
すぐ近くには室生犀星の碑が建っている。この碑は室生犀星自身の建立で、軽井沢を愛した室生犀星らしい。この二体の足元には室生犀星夫妻の骨が分骨されて埋葬されている。だから正確にいえばこの二体の石碑は室生犀星夫妻の墓である。分骨を故人が望んだものか、残された家族の意思なのかは知らない。(画像をクリックしてください)
それから私達は、白糸の滝で涼を取り、クルマは北軽井沢から草津温泉を目指した。軽井沢から草津温泉へはクルマで約40分ほどである。
これが草津温泉の湯畑である。わずかに硫黄臭が残るこの温泉は透明である。写真ではお湯があるようには見えないが、実際には温泉が満満としている。私達は千円を支払って温泉に浸かった。いい湯であった。
クルマは軽井沢に戻って離山通りにある「シェ草間」でランチを食べた。旅の締めくくりとしては最適なランチであった。
シェ草間がどれほど美味いフランス料理を作るかはデザートの写真を見て判断できよう。
桃とゼリーを使った冷たいデザートを見ただけで草間さんの腕がどれほどのものかご理解いただけるだろう。シェ草間の予約は12時であった。親しい付き合いをしている軽井沢の友人から紹介を受けていた。私達はこの日、旧中山道の碓氷峠を昇って、それから草津まで足を伸ばしたので、予約した時間に遅れることとなった。ソムリエでもある草間夫人は午後2時までに入っていただければ結構ですと電話口で予約時間変更を快諾してくれた。それは予約時間の20分前で、私達は草津温泉に浸かる前のことであった。
シェ草間に着いたら今度はシェ草間を紹介してくれた友人の話題で草間夫婦と花が咲いた。このフランス料理は軽井沢のフランス料理店にとって良い刺激になるだろう。おおらかで繊細であった。
知友と二人の旅はここで終わった。何気ない旅であったが満足感は幾日か続いた。よき夏休みであった。