原生林金作原は人為的な森ではない。100年以上も人の手で植林がなかった森だ。私は田町さんにこの森をゆっくり見たいと案内を請うた。そのせいか林道を奥深く分け入って歩き続けた。けれども歩いたのでは歩く靴の音に消されてこの森のよさは分からなかった。立ち止まり森の声を聞くのである。すると鳥の鳴き声が聞こえてくる。風にそよぐ木々の音が聞こえてくる。とたんに森は生きていることを体感するのである。
今日は泰さんから田町さんに運転の手が変わった。古宿から金作原にハンドルを切ってしばらく走るとクルマは急停車をした。「ほら、キノボリトカゲが道路にいる」このトカゲは絶滅危惧指定種。獣の目を持つ田町さんは本当に目が早い。私はかって本茶峠の西田さんがやっている峠の茶屋でこのトカゲを見たことがある。その時の、キノボリトカゲは美しい緑色であったが、目の前のトカゲは道路と同じ色をしている。私はそばまで寄ったが動かなかった。胸を高く上げて誇り高いトカゲであった。道路ですましているとクルマに轢かれるぞ。私はそういって指を近づけると、キノボリトカゲは恐るべき速さで走り去っていった。道路の左側は急斜面で下って、下には清流が音を立てている。泰さんはすばしっ こく動いて斜面を下り清流を渡って向こう側に消えた。
やがて何種類かのかんきつ類をとって谷底から上がってきた。姉さんのみかん畑が下にあるのでと泰さんは説明をした。「生ったら採ればいいのよ。全然採らないものだから、こうして私が通ったときに採ってあげるくらいで、やりぱなしなのよ」と泰さんは説明をした。私はもう一度谷底を覗いたが、清流しかなかった。どうやってみかん畑に行ったのかなと思った。三人で分けて食べたみかんは少し若いかなと思いつつ口に入れたがことのほかおいしかった。
田町さんはこの花の前でクルマを停めて花を摘むと車内に置いた。花の名前はブルメリア。とたんに車内が清潔な香水のような香りに包まれた。昔、台湾で同じ体験をしたことを思い出した。香りで虫を集めて受粉をするためのものが人間に知られて花を折られてしまう。しかし花よ。人間を楽しませるのだから存在価値はあるというものだ。香りが美しい花と認めてもらったのだから。もしも未踏の山奥ににひっそりと咲いている花であったのなら、君は香りがよい花ではなかったのだよ。
途中で停車中のクルマに出会った。「奄美マングースバスターズのクルマです。マングースを捕るために森の中にわなを仕掛けているのです」田町さんはそういってから「最近は森に捨てて、野生化した犬や猫がアマミノクロウサギや鳥たちを食べてしまう害が増えています。何事もバランスを保つことが大切なのです」と付け加えた。奄美で自然を守る闘いを続けている田町さんは自然が破壊されることに強い哀しみを心に秘めているからこそ短い言葉をつなげた。大切なことは安易な表現方法をとらない。
私は持ち前の好奇心でマングースをどう捕るのかを訊ねた。すると「リボンが見えるでしょう。リボンのそばに罠があります。リボンをつけないと罠をかけた場所を見失うからです。マングースに罪はないのですが、奄美の森にしか棲まない貴重な生き物がマングースのえさになってしまうので、予算がついて、ずいぶんマングースは減ったのです。絶滅することは不可能です」。それから田町さんは「マングースに罪はないのですが」と繰り返し、哀しい目をした。私は罠に掛かったマングースの姿を田町さんは見たのだなと瞬間的に思った。
マングースがいない森にマングースを放ったのは人間だった。天敵がいない森でマングースは生態系の頂点に立ち、沖縄同様に驚異的な勢いで繁殖を続けた。放逐を反対する人がいたのだが、そのときの流れは圧倒的にマングース放逐派が多数を占めていた。これでハブはいなくなると島民の誰もがマングースの活躍を期待した。
しかしマングースはハブを食べたかどうかは定かではなかった。マングースの糞から特別天然記念物であり太古のうさぎと言われている奄美の黒うさぎの毛が見つかったのは最近のことである。
「木が倒れるとすぐに菌類が木を腐らせて、その木は肥料になります。木が倒れることで日が当たり若い木が太陽に向かって伸びていきます。金作原の森は人の力を借りなくても循環しているのです。ほらあそこにも、ここにも木が倒れてきのこが生えているでしょう」田町さんは金作原の不思議を語ってくれた。
木の根が一本だけ林道を走っている。写真の手前からこの写真のはずれを超えて根は伸び続けている。幾度も地中にもぐり、また数十メートル先で地上に露出している。なんと不思議な森だろう。
深い原生林、世界中でこの島にしか棲まない生き物が集まっている森。それが金作原である。