私のブログに時折り登場する中村瑞希さんを紹介しよう。中村瑞希さんの歌唱力は非常にレベルが高く、紅白歌合戦に出てくる上手い歌手よりもさらに巧い。こういう書き方をすると瑞希さんはいやだと怒り出すに違いないのだが、それを承知で続けると、紅白に出場する歌手は、1.人気はあるが歌はプロとして恥ずかしいほど下手な若手タレント歌手と、2.歌一筋で生きている人と、3.本当に上手い人の3タイプに分かれると私は思っている。瑞希さんの巧さは上手い歌手の中でも絶品で、圧倒的な歌唱力である。例えば美空ひばりが悲しい酒を唄う時に低音から高音へまったくスムーズに移行するが、瑞希さんも同じように超低音から超高音まで音域が極めて広く、美空ひばりと比較しても決して負けないくらいの唄い振りなのである。
その訳は、はっきりとしている。瑞希さんが生まれ持った美声であることに加えて、奄美民謡そのものに歌唱力が高くなる理由があるのだ。
奄美の唄は起源を平家の神唄に端を発している。内地と一緒で長5音階、ドレミソラを使う。ちなみに沖縄はドミファソシである。しかし三味線が沖縄から入ったのは140年ほど前であって、それ以前に音階を奏でる楽器は存在していなかった。だからドレミファソラシドの西洋音階は存在しなく、楽譜はなく、すべて口伝であるから、音階のグラデーションを遡るようにして師匠に付いて曲を耳と声で繰り返し繰り返し学んでいくのである。口伝で教える師匠は厳しいのに決まっているから、弟子は厳しくしごかれ、努力と根性とで、身も心も、そして声帯もしごかれ磨かれていく。
奄美民謡から巣立った元ちとせ、リッキー(中島律紀)、中孝介などはみなこうした道程を経ている。瑞希さんも小学校5年生から師に入門し、厳しく鍛えられているのだから、出発点も育ち方も、その成果も最近のタレント歌手とは根本から違うのである。
奄美民謡は、奄美群島のうち、と言うよりも世界中で奄美大島、喜界島、加計呂麻島、徳之島にしかない。沖永良部、与論にはない。奄美大島や加計呂麻島は、平家の落人が行き着いた島であり、今もその史跡が残っている。今は奄美に住む沖縄生まれの町ゆかりさんは、沖縄を知ろうとすると奄美に行き着くと言った。しかし琉球文化を色濃く受けた沖永良部、与論に奄美の旋律はない。加えて奄美大島は琉球王朝の支配のあと連続して、関が原の戦いの9年後から明治初期まで300余年も薩摩藩による搾取植民地化政策が続いていたから島民は島唄に、苦しみ、哀しみ、怒り、慶び、祈り、愛と別れのすべてを込めて唄った。
またむかし話だが、夜道に迷った人を探すのに民謡歌手の声を借りたという。奄美の民謡歌手の声は風に乗って山や森を通り抜けたと言う。その結果、奄美民謡固有の歌唱方法が出来上がったのである。それを証拠に奄美民謡の曲は100曲くらいなのに、歌詞はその10倍ほどある。いかに島人が想いを唄に込めたのかが分かる。抑え目な感情表現でありながらそれほどに感情が豊かに表現されている。
奄美民謡は方言で唄うから、私はCDで対訳として紹介されているものしか知らないが、大別すると儒教の影響を受けた教訓唄と、万葉時代の表現を持った神唄と、そして世界共通の恋唄と、豊年を祝う喜びの唄に分かれているようだ。
例えば「舟の艫(とも)に、白い鳥(*白鷺)が座っています。いえあれは白い鳥ではありません。あれは姉妹神(うなりがみ)なのです。あなた方(*姉妹神)と逢うことは、夢にさえ見ることはありませんでしたが、神様のお引き合わせによってあなた方は白い鳥に姿を変えて私たち姉妹に逢いに来てくれたのですね」・・(よいすら節)
こういう神代から伝承された詞に、敬虔な祈りの感情表現を加えて唄う練習を積み重ねて、そのうえ音階がない超低音から裏声で奏でる超高音まで一切よどみなしに音階のグラデーションを同じ太さで駆け上がるように唄う奄美民謡の発声方法をマスターして、二年連続民謡日本一に輝くほどの実力を育て上げたのだから上手いのに決まっている。民謡グランプリで優勝した瑞希さんを作曲家の神津善行氏は、圧倒的な上手さと評論している。
詳細な説明を加えると瑞希さんは民謡賞を総ざらいにしている。奄美大島内での賞は当然として、日本民謡協会主催の民謡民舞全国大会では総理大臣賞、翌年は日本民謡グランプリで優勝、昨年は地域伝統芸能奨励賞を受賞するなど、それはそれはの大活躍をしている。とにかく実力ある歌い手なのである。
それを確かめたい方がいらっしゃったら検索エンジンで中村瑞希と打ち込んだら瑞希さんの奄美民謡CDがいくらでも販売しているから、ぜひトライして欲しいくらいである。
そんな中村瑞希さんの紹介に、私など出る幕は無いのだが、数年前奄美大島復帰50周年式典『世界奄美人大会』基調講演の講師を私が担当した。私を紹介する司会者が中村瑞希さんであった。それからというわけではないが知友の泰さんも瑞希さんも笠利町在住であることもあって、奄美へ行くたびに瑞希さんの唄を聞くことが増え、次第に縁が深まっていまは、瑞希さんの若いお母さんも含めてみんなで交流をするようになった次第である。奄美に行けばお母さんと一緒に時間を割いてホテルまで来てくれるし、いつもニコニコして謙虚で、そして聴くほどにこの人の唄は心から巧いと思うのである。だからメジャーに進出することくらい朝飯前の話で、現に瑞希さんが弟のように思っている中孝介など、メジャーに出たらあっという間に実力歌手になってしまった。瑞希さんがメジャーになったらこの驚くべき歌唱力は日本中から絶賛を浴びるに違いないのである。
この写真は日比谷公会堂出演のもの。右はお母さん。
これほどの才能だから、大手レーベルが放ってはおかないのだが、それもあっさり断って本人は昼間は働き、週末は子ども達に島唄を教え、リクエストがあれば出かけて唄うという、これほどの実力者としては、世にも不思議な生き方をしていると私のような凡人には思えてくるのである。世の中には歌手を夢見る人は星の数ほどいても、大部分の人が夢と消え去っているわけだが、この人は手を伸ばせば、いきなりメジャーの世界にワープできるほどの実力者なのである。しかしこれほどの材であるからやがてメジャーデビューは時間の問題と思っている。
そんな瑞希さんからハシケンさんの作詞作曲で紬(つむぎ)という書き下ろしの曲を3月に出しますとメールが届いた。地元インディーズからCDを出すという。才能ある人は才能を活かさなければもったいないと思う。中村瑞希さんはやがて第二の美空ひばりに化けるかもしれない人なのである。