リッチでないのにリッチな世界などわかりません。ハッピーでないのにハッピーな世界などえがけません。「夢」がないのに「夢」をうることなどは・・・・とても嘘をついてもばれるものです。
杉山登志は、この文を残して1973年の暮れに自殺した。37歳であった。杉山登志は日本天然色映画の有名な売れっ子CMディレクターであった。この日天にいたのが画家の永田力と音楽家の浜口庫之助であった。永田力は画像を担当し、浜口庫之助は音楽を担当した。永田と浜口の2人は日本で始めてテレビCMを作ったことで知られている。杉山の師は永田力であった。オーモーレツのCMではテレビコマーシャルに画家の眼で遠近法を取り入れるように永田が杉山に教えた。思い返せば前田美波里を広角写真で撮った有名な資生堂のポスターも杉山は遠近法を採用している。
不況で皆が喘いでいる時期、杉山登志の遺書は大変な重みを持って私達の心に響いてくる。このシャイな男は、日本国民が一億総中流で浮かれていた高度経済成長時代の真っ只中にその実力で以って時代の先頭を走ったが、その純粋さが自分のいきざまを許さなかった。
永田力は私にとっても師である。絵の見方を画伯から教えてもらった。幾度も旅行をした。海外も国内も、出かけた。いつも会って酒を飲み永田力は語り、私はひたすら学習をした。普通では手に入らないこの実力ある画家の絵を私は9枚も持っていて私自身の誇りの一つである。杉山登志のことをも永田力はいろいろに語ったがすべては風に流されてしまい私の記憶に留まっていない。
杉山登志は詩人になればよかった。彼は詩人であった。そうすれば自死を選ぶことはなかった。私は夭逝した詩人に大好きな室生犀星の詩を贈る。 (写真は室生犀星の軽井沢別荘)
切なき思ひぞ知る
室生犀星
我は張り詰めたる氷を愛す。
斯る切なき思ひを愛す。
我がその虹のごとく輝けるを見たり。
斯る花にあらざる花を愛す。
我は氷の奥にあるものに同感す、
その剣のごときものの中にある熱情を感ず、
我はつねに狭小なる人生に住めり、
その人生の荒涼の中にしん吟せり。
さればこそ張り詰めたる氷を愛す。
斯る切なき思ひを愛す。