GW直前の上信越自動車道路は嵐の前の静けさである。前方に冠雪の浅間山が見える。塔の左下にちょこんと頭を出しているのが浅間山である。この道を抜けて渋滞さえなければ一時間半ほどで軽井沢へ着く。軽井沢をマチュ・ピチュとはよく言ったものだ。新幹線や自動車道路を使って軽井沢へ行く場合には何の感慨もないが、一般自動車道で軽井沢へ行くとマチュ・ピチュの意味がよく分かる。
今日4月26日の朝10時に外気温は9℃であった。浅間から吹き降ろす風は強かったが、もう軽井沢は春であった。長い冬がようやく終りを遂げて木々は一斉に芽吹き始めていた。
早春賦は安曇野の春を待ち焦がれる歌である。惜春は去り行く春の風情をいう。ここ軽井沢も春の盛りだが、マチュ・ピチュの都市にとっては、もはや惜春のころでもある。一年中で一番に雨が多く降る七月はすぐに来て、八月の後半にはストーブに薪をくべるようになる。軽井沢の冬は氷に閉ざされる。
だからこそ短い春が美しい。まもなく散り終えるこのこぶしは青い空が一番似合う。こぶしの木は人間が想像もつかないほど背が伸びて天高く美しい花を咲かせる。
この日、万座温泉へ行く予定で家を出たが、軽井沢で捉まってしまった。どこもここもこの世の春であった。まだ芽吹きをしていない万座温泉ではなく、星野温泉で十分であった。クルマでなければせめてオーボンクリマ・ピノノアール程度のワインを空けたい気分であった。
秋に道路を桃金色に染める落葉松(からまつ)も新芽を吹いている。この春を抱きしめたいと思うほどうれしくなった。これから紅葉の時期まで楽しませてくれるお膳立ては整い始めている。
草木は鮮やかな生まれ変わりを見せてくれるけれど季節は人を変えていく。私は歓びの中にいて時折に時の移ろいを哀しく思うことがある。一方で哀しみも歓びに内在されているものであることを知っている。私は生涯現役を貫いていくけれど哀しみも寂しさもすべて歓びと思う時期が来るであろう。
私が住んでいる家は35年前に建築家の菅原さんと一緒に建てた家だが、菅原さんは57歳の若さで亡くなった。病院の計らいで一時的に帰宅を許されたのだが、お見舞いに訪れた私にこう短く語った。「雨の音がいとおしくてね。眠らないで耳を澄まして聴いていました」
私もいつか私の人生そのものを、私が出会った関係そのものがいとおしく感じる時がくるのだろう。だから私はすべてを歓びとして人生を駆けぬける。そして多感な少年のような心で、驚き、ときめき、好奇心をもって生きていく。雨の音さえも抱きしめたいくらいいとおしい存在なのである。人生に敬虔でなければ分からないことだ。だから敬虔な歓びこそが人間を豊かに育てる唯一の方法である。
私はいつものように然林庵へ寄って一人でコーヒーを飲んだ。この前この椅子に座った時は辺りは一面の紅葉であった。芽吹きの時期にまた同じ席に座った。地球は太陽を半周したことになる。季節が変わったことで自分も変わっただろうか。自問自答したが答えはなかった。自分では分からないさ。どこかで声がした。外は春爛漫であった。