週末の土曜日、PHP研究所の雑誌「ほんとうの時代」を読んだ。そこには脳の本能は、生きたい、知りたい、仲間になりたいの三つに整理されると記されてあった。(林成之氏・・脳神経外科医)この世の中はこの三つの本能にしたがって出来上がった社会なのだそうだ。
私が自然の中に身を置くことが楽しみの一つになったのは、脳のどの本能が私を突き動かしているからなのか。自然と触れないと生きられない年齢になってきたのか、自然を深く知りたいのか、自然と仲間になりたいのか。日曜日、真夏を感じさせる陽気であった。私はいつものようにクルマを点検して、通いなれた軽井沢へ向かった。
私はウオッチングしている樹が幾本かある。この山桜は老木が枯れて死んでしまったのだが老木の横に若い樹が成長して天に高く伸びているものだ。遅咲きの山桜が花をつけているのか気になっていたが花はこずえの上に咲いていたのである。
画面左の老木も私がウオッチングしているかえでの樹だ。この土地の主のように生えているのだがムロができて、わずかに生き残っている部分から吸い上げて高いこずえの先々に養分を運んでいる。ムロは大きくえぐれて、ありの巣ができていたのである。私はあり退治のスプレーを吹き付けてありを殺した。ちなみに右の銀色に輝くひし形は著名な建築家隈研吾氏の作品である。
かえでも芽吹きがはじまっている。この日の軽井沢は真夏のようであったが、まだ芽吹いていない樹木もたくさんあるのだ。今日は鳥のさえずりがうるさいほどだ。春は鳥にとっても恋の季節。これから八月まで三ヶ月あまりが軽井沢は美しい。
私はしばし鳥の声に耳を傾けてこの手入れがされている森の中で時間を過ごした。それからこの土地で生まれた知友佐藤さんと会って、しばらく会話を楽しんだ。佐藤さんの父親が南ヶ丘を開発した一人である。この土地は昭和の初期、徳川、細川、山縣、鳩山、井上などという著名な人がゴルフ場をつくるために南ヶ丘一帯50万坪を軽井沢を開墾した雨宮氏から購入し、半分を別荘地として販売してその収益で軽井沢ゴルフ倶楽部を造成したところである。
わたしはそれから一龍でひさしぶりに焼肉を食べた。そしてスーパーマーケットつるやに寄って高原野菜を買い込んだ。これからレタスが美味しくなる。帰りは長連休最後の日曜日であり、故障車や、事故があって関越はことのほか渋滞をしていたが、私は脳三つの本能に従って今日も生きてきたのだと思うと、自分でもおかしくなった。