アメリカから知友が一時帰国をした。お互いのスケジュールをあわせると5月2日の午後からの都合が合った。私は春の北鎌倉円覚寺へ知友を案内しようと思った。私たちは12時58分発の湘南電車で北鎌倉へ向かった。
円覚寺は北鎌倉駅からすぐの場所にあるのでクルマが多く通る道路をだらだらと歩かないことが良い。この禅寺は山に包まれた配置が好きで、私は必ずここに登って円覚寺を楽しむ。ここは墓所である。松竹大船に近いところから有名な俳優がここで永眠をしている。
田中絹代や佐田啓二はここで眠っている。オーム事件の被害者坂本弁護士も永眠の地はこの墓所である。私はまだ、墓地のウオッチングを楽しむ心境には達していないけれど北鎌倉へくると必ず訪れる墓所がある。
ここは作家開高健夫妻が眠る墓所である。この墓石は誰がデザインしたものか知る由も無いが、いかにも開高らしい姿をしているではないか。開高健は夫人とも戒名を持たない。誰からも呼ばれない、誰にも覚えてもらえない名前を付けても哀しいだけだ。奔放に生きて夭折したこの作家が私はたまらなく好きである。
円覚寺は花の季節である。まもなく牡丹が咲き、紫陽花が咲く。それ以外にも私にはわからない名前の花が全山を彩っている。
知友はアメリカに無いこの風景を久しぶりに楽しみ、そして私たちの会話は弾んだ。
存在したものと存在しているもの。存在したことも消え去っている無数の人たちと、存在したことが残されている人たち。ここは無数の存在がこの世で果たせなかった無念で魂が揺らめいている場所だ。
私は生の存在を確認するために時折り寺を訪ねると知友に言った。知友は思いを果たすにこの世は唯一の舞台ですと言葉を返した。
早咲きの牡丹が一輪咲いていた。私はふと長唄「越後獅子」の一節が口に出た。「牡丹は持たねど越後の獅子はおのが姿を花と見て庭に咲いたり咲かせたり」。知友は、そうですね。この牡丹のようにいまを咲き切ることですねと返してきた。分かり合える知友、親しく話さなくても分かり合える知友の存在はうれしいものだ。
私は奔放であった食生活を改めて年齢にふさわしいカロリーで過ごしている。口の悪い学生時代からの友人達は、とうとう年貢の納め時だと冷やかすけれど、彼らもまた私の真意と同じ心境にいる。人生を閉じてしまわずに今日を精一杯生きて、明日に向かって生きる。過去を振り向けば今日が一番年寄りだが、明日に向かえば今日が一番若い。
「私はBMWのニューZ4が欲しくてたまらないのです。この前試乗をしたのですが一段と進化をしています。3000CCのツインターボでダブルクラッチです。実にスムーズでしかも1300RPMで40トルクが発生して、高回転領域までそのトルクを持って走るのです。私は以前ベンツの89年がお終いであったあのSL560シャンペンゴールドを乗っていたんですが、ニューZ4もシャンペンゴールドがあるのです」唐突に私は新しいスポーツカーの話をした。
「人生を閉じない素敵な話ですね。駆けぬける歓びですね」知友は分かっていた。45歳の彼に私の心境が読めるのか不思議であった。人生を閉じてはいけない。閉じてしまったら次々と窓を閉めることになる。私はいつも自分に言い聞かせている呪文なのだ。
「優先順位は低いのですがね。その前にいくつかやりたいことがありますから。しかしいいクルマでした」私はそう言って唐突に持ち出した話を閉めた。
私は円覚寺に逗子に住む親しい知友を招いていた。午後3時に彼は私たちを山門の入り口で待っていた。それからしばし3人で会話をして連休のひとときを楽しんだ。