長いあいだ都市で暮らしていて、都市が変わっていくと人の営みがむなしく感じるのはなぜだろうか。わが町の大通りは、道路巾が広がるので立ち退きが進んでいる。たくさんの生活が失われ、住んだあとは道路になっていく。ここに人の生活があったことなど誰一人分からない。
私は66年も生きて、都市に成熟をしすぎたのかもしれない。毎週のように軽井沢へ行きたくなるのは自然に触れたいからだ。からだを老けさせないようにするためにクルマを飛ばして行っているけれど、きっと森に触れていたいのだ。将来は森で暮らしたいのかもしれない。
都市は哀しい。きらびやかだけれどとても哀しい。いまはとても大事な仕事を始めたから、この仕事が社会に認知されるまで懸命になって普及活動をしなければならない。それが一段落ついたら、私は森に小屋を造って森で暮らそうと思う。小さな小屋でいい。人の営みが出来るスペースと、子供たちが訪ねてきた時に休めるスペースがあればよい。森に溶け込むような家がよい。
15坪もあれば十分だ。普段は森にいて薪を作り、樹木を手入れし、書を読み、本を書き、音楽を聴いて暮らす。必要が生じたら東京へ出かけていく.そんな暮らしを夢見る。目標は3年以内に実現だ。新しく仕事をはじめたM女史から、3年で出来ないことは10年掛かってもできないと言われた。だから3年で目的を達成する。
なぜ、森が好きになってしまったのか。夏の海は私には光が強すぎる。だから森が好きになったのか。毎週のように軽井沢へ出かけて、いつの間にか森の魅力にとりつかれたのか。都市で暮らすことが淋しくなりすぎたのか。よくは分からない。なぜ森が好きになったのか。理由などは要らない。