家に遊びにきていた長女が「尾瀬に行きたいなあ」と独り言を言った。自然が好きな長女は英国の大学で環境生物を学んだ。高速道路M3の工事現場が一年間でどのように植物の生態変化を来たしたかが卒論であった。現場の一角を囲ってその中の植物生態系を時系列で調べるというなんとも聴いただけでいやになるようなテーマを選んで一年間、週に一回その現場で植物を数えて数値化し変化を記していった。教授がその地域の警察と工事現場に同行し、怪しい人間ではないと話をつけてくれた。そのくらい自然が好きな娘である。面白いもので植物名は英語で覚えているから和名がまったく分からないのだと帰国してから話していた。
結婚してから私は彼女の住むマンションには一度も訪問していないが、家内の話だとベランダは植物だらけで、葉についた幼虫もまったく怖がらないからいやになってしまうとよく語っている。そんなところはあなたに似たのだと矛先がこちらに向かってくると、いいじゃないか。皆命を持って生きているんだからと応えるものの、長くて動くものがきらいな家内には通用しない。いつぞやは携帯メールが鳴って、羽根が透明で胴体が太くハチドリのように止まって蜜を吸う蛾のような昆虫がベランダの木に卵を産んだのだけれどこれは何」と長女が聞いてきた。私は「大きければ大スカシバ。小さければ普通のスカシバ」と答えを返すと、「何頭か飼育をしてみようかな」と返事が来る。それを聞いて皆あなたに似たせいで娘がおかしくなったと、また矛先が私に来る。娘の好奇心の強さは私の母親、私、そして長女に引き継いだDNAに起因している。
その長女が「尾瀬に行って高山植物を見たいなあ」とまたいった。「それなら池の平湿原なら連れて行ってあげるよ。但し時期が端境期だから花が咲いているかどうかはわからないよ」そんなことを言ったらすぐに乗って来るのがまたDNAの仕業である。時間は昼の11時になろうとしている。よし行こうと決めてすぐに高速道路に乗った。
池の平湿原に高山植物はほとんど咲いていなかった。端境期であったのに違いがなかった。それから高峰高原ホテルで標高2000メートルの遠景を楽しんだ。
先回このホテルを画家と訪ねた時は雨が降って視界はゼロであったが、今日は日差しがある曇り空であった。晴れていればここから富士山と八ヶ岳が見えますとホテルの人は説明をした。目を凝らして見つめたが富士も八つも見えなかった。
フロントの壁面には画家の描いた浅間山がある。我々は標高2000メートルの初夏を満喫した。花はなかったけれど尾瀬の雰囲気だけは体験できたと長女は満足そうであった。