鈴木美津子さんと出会ったことで私は山野草の世界を知った。知れば知るほどにわからないことが増えてくる。私はわからないことがたくさんあることをこの年齢でようやくわかったのだ。私は貪欲に知ろうとしている。だから私は今日、軽井沢にいるのだ。わからないことを知るためにである。わからないことをわかるようにするためにではない。わからないことがあることを知るためにである。
軽井沢中央公民館は鈴木美津子さんの話を聞く人で溢れかえっていた。会場に入れない人たちは廊下に溢れ主催者は困り果て、前のテーブルをいくつも外して椅子だけに配置し直した。100名の来場予定をしていたが来場者は200名を超えた。私は早めに着いたのでかろうじて中ほどに席を確保できたが椅子に座れなかった人は立って話を聞いた。
パワーポイントで映し出された山野草の写真を見ながら、山野草はとても環境に敏感だから軽井沢に適した山野草をお話しますと軽井沢の守り人は話を始めた。
ふしぐろせんのう、かわらなでひこ、うばゆり、ぎぼうし、おみなえし、おきなぐさ、つりがねにんじん、くりんそう、やましゃくやく、るりそう、あさまふうろ、いちやくそう、やまぶきそう、あつもりそう、ゆきざさ、にほんさくらそう、あずまぎく、えんれんそう。
山野草がこれほどに可憐な花であることを私は知った。軽井沢の守り人は心ときめくような話をしてくれた。いちやくそうはきれいな花でしょう。この花は落葉松の寄生草なのです。ですから落葉松があるところだけに咲きます。落葉松を切ってしまうといちやくそうも枯れてしまいます。
ゆうすげは一本だけではわかりませんからせめて5~6本は植えてください。通り過ぎてから「あれ、何の匂い?」と振り返るようになります。とっても素敵な香りです。
私はこのような話に心が踊る。ゆうすげ。なんと美しい響きであろうか。東京帝国大学の優秀な建築科の学生であり詩人でもあった立原道造は、キスゲ(黄菅)の花に、ゆうすげという美しい名前を与えた。私は、立原の詩 「ゆうすげびと」を思いだした。
ゆうすげびと
立原道造
かなしみではなかった日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた
それはひとつの花の名であった
それは黄いろの淡いあはい花だった
僕はなんにも知ってはゐなかった
なにかを知りたく うっとりしてゐた
そしてときどき思ふのだが 一体なにを
だれを待ってゐるのだらうかと
昨日の風に鳴っていた 林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に 咲いていた・・・・・さうしてけふもその花は
思いなしだか 悔いのやうに――
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔いなく去らせたほどに!:
ゆうすげは夕方に咲いて朝には枯れてしまう。立原道造は一日で夕方が一番好きだと書いているが、鈴木美津子さんも夕方に咲き始めるキスゲの香りが好きなのであろう。
軽井沢の守り人は、山野草にとどまらず樹木にまで及び、一つひとつを丁寧に説明をした。つりばなでトンネル小道を作るとよいですよ。この樹は鳥にとっても必要な樹なのです。この実を食べにたくさんの鳥が集まりますよ、と。
私は家に戻ってネットにある樹木図鑑や山野草図鑑で全部を確認するつもりで名前を書き写した。講演は予定の時間を30分も超えた。終了は16時を回っていた。
私は17時41分発の切符を取っておいた。中軽井沢駅へ出てしなの鉄道で軽井沢へ戻るのが順当であるが電車は一時間に一本が原則だ。まずは中軽井沢駅へ向かって歩こうと思った瞬間に帰り車の空車がやってきた。私は手を挙げてタクシーを止めて軽井沢駅までと行き先を告げた。
するとバックの携帯電話が鳴った。軽井沢の知友からであった。時間はあまりないけれど喫茶店で会いましょうと話は決まり、知友の指定で駅近くにある喫茶店「茜」を待ち合わせ場所に決めた。星野リゾートでジェラードを半分くらい食べたままなのであった。茜はうまいけれど高いですよと豪語している喫茶店である。
わからないことをわかるようにするためのお題をたくさんに頂いた日であった。人間はこうして新しい世界に踏み出していける。
私は出会いと別れが人生で一番大切だと思っている。出会えるようにするには自分を磨かなければいけない。磨くことは実は非合理な世界でもある。いつ何に出会うかもわからず、何かを期待して磨くわけではないからだ。何も期待しないで磨くことによって出会いの一瞬を掴み取ることができチャンスは常に前髪なのである。
私は山野草を勉強してみたいと思う。こうして常に好奇心に彩られていれば人生はいつまでも活き活きと過ごせることができる。それがなによりもうれしい。