画家が描いた油彩画を奄美大島の小中学校に寄贈する活動を始めて今年は2年目になる。奄美の知友、泰さんの母校である宇宿小学校に訪問した際に、絵画がどこにもなかったことから本物の画家が描いた油彩画の寄贈を思い立った。奄美大島(奄美大島、かけろま島、予路島、請島)で約80の小学校がある。全部の小学校を対象にすると大勢の賛同者を得て本格的な活動をしなければならないから、それは今は時間的に無理だ。
そこで私個人が、1年に一回、自分でこどもたちにふさわしい確かな絵を探して選んだら奄美大島の泰さんや宇宿小学校の徳裕子校長と相談して、できればプロの画家が描いた絵画を所有していない小学校を選んで、先方に受け入れ態勢があるかを確認し、寄贈するという基準を自分で作った。
写真の絵画は色彩の魔術師と賞賛されている星守雄画伯の油彩画である。早い筆で描き上げていて、遠近法を取り入れ競馬場の歓声が聞こえてくるような力強い作品だ。この画家の飛び抜けた色彩感覚は本能的なものだろう。
玄人好みの巧い絵である。豊かな色彩をキャンバスに塗って、その上から人物を描いている。この絵はかなり描き込んでいるが、他の作品には木村忠太を彷彿させる表現もたくさんある。星画伯はスーパーリアリズムと呼ばれている写真と寸ぷん違わないような精密画をも描くことができる実力を備えている。見る人の眼力や感性に相応に感応してくれる絵画である。大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響くという意味で、小学生にも分かる絵であるということだ。
星守雄画伯は東京芸術大学を卒業し、その年度の油彩科首席者に贈られる大橋賞を受賞し、引き続き東京芸術大学院を修了。その後フランスへ留学。パリアカデミー ジュリアンを卒業して帰国。実力ある画家だけが推薦入会できる国画会を中心に活躍。その後の活躍はここで論うこともなかろう。東京藝術大学で教授となり絵画を指導する。私は写真でしか拝見していないが品格のある上品な方である。
大きさは30号。家庭で30号は大きいが小学校に飾るには30号は大きくない。
この絵画を大和村大棚小中学校に寄贈した。大棚を知っている人もいるはずだ。奄美大島の子沢山ファミリーのことがテレビでシリーズ放映されているが、この家族が住む集落が大棚である。
本日、大棚小中学校の校長から「届きました。奄美にふさわしい色彩を持った素晴らしい絵です」と電話が入った。続いて宇宿小学校長からも大棚小中学校の絵が届きましたと電話が入った。
大棚はさんご礁に輝く海沿いにある、それはそれは穏やかな集落である。深い森と、豊かな水と清らかな海から吹く風のおかげで夏でも暑くなく、そして広大な東シナ海に落ちる夕日が豪快に美しいところだ。この絵画はこれからこどもたちに見守られて生きていく。そしてこどもたちも、この絵画から特質した色彩感覚と美意識を学ぶことになる。集落の話題にもなってたくさんの村人たちがこの絵を見に訪れることだろう。
個人が所有してしまえばそれ切りのものだ。高村光太郎は詩集「智恵子抄」で、個人コレクターを美の監禁者と呼び、美の監禁者に作品を売り渡す者、我、と自嘲をしている。小学校なら毎年一年生が入ってくる。ましてや小中学校なら小学1年生入学から中学校3年生卒業までなんと9年間ものこどもが成長する間、こども達はいつもこの絵と対峙し、成長を遂げるのである。画家も知ったらさぞかし歓ぶことであろう。なんと素晴らしい共生・共歓関係であろうか。こどもたちの歓ぶ顔を想像すると私はワクワクして胸が打ち震えてくる。
私は泰さんに報告の電話を入れた。泰さんは与論島にいた。泰夫人の実家が与論島なのだ。 泰さんはそれはよかったと言ってすぐに話題を変えた。 『今度奄美にいらした時は、プラス2日の余裕をとってください。着いた翌日に与論へ行きましょう。与論はいいところですよ』 「与論島は奄美からはどう行くのですか。飛行機があるのですか?」私は問うた。 『船です。フェリーです。クルマを持っていけますよ。名瀬港を朝の5時50分に発って徳之島、沖永良部島に寄って与論島に13時40分に着くのです。服部さんは帰りは沖縄へでて東京へ戻ればよいです』 泰さんの声は伸びやかでつやつやしていた。きっと開放感からであろう。それだけ与論島がよい証拠だ。
泰さんを知友に持っているからこそ「奄美」と親しくなれる。 私はささやかな贈り物を奄美のこどもたちに贈ったことによって、また「奄美」から私はたくさんの贈り物をいただける。 泰さんのお誘いも贈り物の一つだ。共生共歓の関係がいかに素晴らしい関係かを私は実感している。 「行きましょう。連れて行ってください。JALとANAを併せてマイレージが10万マイル近く残っています。沖縄へ行ってしまえば簡単ですが、帰りも奄美に戻りたいですね。かけろま島を船から見て、予路島の東を抜けて徳之島や沖永良部島に停泊して、その往復ができるのでしょう・・・いいじゃないですか。めったにできることではありません。」 『そうですか。次回いらしたときはそうしましょう』与論島にいる泰さんが与論島へ行きましょうと言うのはおかしかった。絵の報告電話がいつの間にか与論島行きに話が変わって会話が盛り上がっている。私の楽しみはこうして飛び跳ねながらいくつも連鎖する。それでいいのだ。人は未来に向かって生きているのだから。私は私に課した今年の約束を果たした。私の手元を離れて絵画は一人歩きをする。それでいいのだ。それでいいのだ。