たまには各駅停車の電車に乗って小さな旅をすると良い。各駅停車の旅なら沿線に住む人々の生活にそのまま触れることができる。中学生が乗り込んできて騒がしくなったかと思うと、やがて散らすように下車していく。ここに中学校があるのだなと私は想像する。すると子どもたちの生活が見えてくる。また次の顧客が乗ってきて、やがて降りていく。あの人はなぜこの電車に乗ったのかなと思いを巡らす。地方では移動が生活そのものだ。これを楽しめる旅は各駅停車の旅以外にない。
私はこの日、東海道線の旅に出かけた。もちろんだが所用があった。静岡駅まで新幹線で行って、そこから東海道線を六合駅まで下った。このレールは西鹿児島駅まで続いている。
焼津の小川港になじみのすし屋がある。私はわざわざこのすし屋までクルマを飛ばして東京から食べに行く。帰路に寄ろうと思ったが、時間が早かった。電話を掛けると店主は、せっかく来ていただくのですから握りますが、休憩時間なので店に活気がありません。それでよろしければと言った。それでは今度にしましょうかと私は丁寧にお断りをした。
六合と静岡駅の距離関係は上の写真で分かる。画像をクリックしてください。静岡駅が出てきます。
新幹線の中で団体客がいた。ツアーを案内する女性は皆に気を配り、ただ一人神経を張り詰めているのがすぐ後ろの席から良く分かった。団体客は何もかも彼女に頼った。棚の荷物を降ろしてください。また上げてください。こんな注文はまだましのようであった。彼女を捉まえて話をしたい顧客はたくさんいた。それにすべて対応をしていた。彼女に休まる時間はまったく無かった。やがて新幹線は新横浜に到着すると、彼女はここで降りる顧客の荷物を降ろし、旗を掲げて出口まで案内をした。品川駅でも同様であった。終点の東京駅でも同じであった。彼女はけなげに、一人ひとりの顧客と会話をして見送った。この旅行会社はクラブツーリズムであった。彼女は会社の代表者として十分に責務を果たしていた。
新幹線は在来線のような各駅停車の旅ではないが、ここで彼女が演じているのは各駅停車の旅に似ていた。一人ひとりの顧客にきちんと対応していたからである。どこへ旅したのか、どこから戻ってきたのかは知るよしもないが、きっと短い時間に人々の交流があったのであろう。「今度はご主人と一緒に参加してくださいね。お嬢さんとの旅もまたよろしいですよ」。「ご縁があったらまたお会いしましょうね」。顧客同士、添乗員と顧客の会話は別れを惜しむように続いている。
新幹線を降りる私は、幾度も振り返って彼女の胸に着けるバッチを確認したがバッチは頭をたれて名前を確認することができなかった。何度も振り向いて自分の顔を確認されている彼女は、自分が過去に旅をご案内した顧客かもしれないと言うような表情をして私に軽い会釈をした。私も会釈をして、私の小さな各駅停車の旅は終わった。