ウイリアム・メレル・ヴォーリズは日本で1600軒ほどの建築を残した建築家である。建築に興味がない人なら、メンソレタームを輸入販売する近江兄弟社を設立したアメリカ人、音楽好きの人ならハモンドオルガンを日本に紹介した人、キリスト教徒ならたくさんの讃美歌を作詞作曲した人とでも紹介したらよいだろう。
睡鳩荘(すいきゅうそう)は、朝吹常吉氏がヴォーリズに依頼して建てた旧軽井沢の別荘である。その後、娘の朝吹登水子さんがこよなく愛した別荘として知られている。旧軽の森の中にあったが、ことし7月に塩沢湖のほとりに移築したものである。
9月6日、私は休みであった。いつもパソコンをにらみつけている私の眼は、ドライアイになっていて、目の保養をしたほうが良いと医師から忠告されていた。そんなわけでパソコンを触らずに、音楽でもとCDをBOSSにセットしてジョンレノンを聴いていたのだが、それがきっかけで、ふと睡鳩荘を思い出した。家人は留守であった。車庫を見るとクルマがあったので、出かけるかと、正午を少し回った時間であったが、日曜日の昼下がりに私は愛用のLAICAをかばんに放り込んで睡鳩荘を見に出かけたのである。
タリアセンはよく知った場所で深沢紅子の美術館などがあって大人もこどもも興味津々の公園である。軽井沢はもう晩秋の日差しであった。太陽は地平線に近づいていて、弱いけれどまぶしく、人口湖の湖面は輝いていた。昨日、軽井沢の知友から電話が入っていた。「日増しに寒くなります。これから軽井沢は一気に冬に向かいます」と。
ふとK教授を思い出した。私にとっての、人生と美の師匠である。以前、二人で軽井沢へ脇田美術館へ来た折に、別場所でヴォーリズ展が開催されていることを知って、これを見ようと向かったが渋滞がひどく戻ってきたことを思い出した。
湖の向こうに睡鳩荘が見える。しかし私はヴォーリズが設計し朝吹登水子さんがこよなく愛したこの建築を、K教授と一緒に見たいと思った。そこで今回は建物遠望で止めた。いままでは建物内部を見ることで建築物を見た気になったが、外観しか見ないという見学方法があることを発見した。木々の葉はすでに力強く美しい彩を失い、もう紅葉の準備をし始めているようであった。
私はどこにも寄らず、誰にも会わず、タリアセンの他の美術館も見ず、東京へ帰った。私は一箇所だけ見る旅をする。たくさん見ない。今回は睡鳩荘の外観だけを見る旅であった。だからこそ朝吹常吉氏がヴォーリズに軽井沢山荘の設計をどう依頼し、娘の登水子さんがどうこの建物を愛して暮らしたかだけを想像し楽しむことができるのである。