庭に出ることはほとんどない。週末の一日はドライブをして運転感覚感を失わないようにし、残る一日は、平日と一緒でいそいそと早朝から出社して執筆で時間を費やしているから、我が家の庭に出ることがない。
私は午後からクルマで出かけた。小川町を見たいという家内を乗せて向かった。関越嵐山小川町まで三連休の初日、40分も掛からずに着いた。小川町は古い町並みが残る小京都とはテレビで放映して記憶に残っていたが、訪問するのは始めてであった。実際の小川町はどこにでもある地方の町であった。古い建物は残っているが、といってクルマで走ってしまうとあっけない。うなぎ屋が町のあちこちにあった。私は町の人に聞いた。「ここのうなぎは地元の天然物ですか?」。地元の人は答えた。「いえ、そんなことはありません。敷居が高いというか私たちは行きません。予約をしていけばいいのでしょうがとてもお高くとまっているのです」。サービスが悪いということだ。そこで私たちは目的地であった小川町を通り越し秩父にクルマを進めた。秩父は隣町である。山深い山村でも道路は良くできている。JAで経営している東秩父農産物販売所で地元の野菜を買った。
川は急流であった。コンクリートで固めていない部分は、風景が美しい。日本には土木建築会社が50万社あるといわれている。世界では150万社だといわれているから狭い国土に世界の33%にあたる土建屋が占めている。長い時間をかけてそのような社会構造になってしまったのである。それは高速道路やダム工事につながり、防潮工事になり、防波堤工事になり、干潟の埋め立て工事になり、こんな小さな町に流れる川の護岸工事にまで至る。瀬戸内海の「ともの浦裁判」は広島県が最高裁へ上告するらしいが、その理由が交通渋滞をなくすためだという。
みな、東京になりたいのだ。都会的な便利で文化的な暮らしがしたいのだ。私は秩父を走っていて、こんなことを考えていた。ヨーロッパではどの国でも田舎に行けば500年も前に建てた家に暮らして、土地を愛し、大地に根を下ろした生活をしている。私はかつてバーゼルへ行く仕事でスイスの首都ベルンに1週間ほど滞在したことがある。ヨーロッパの宝石と言われている中世の美しい町を後世に残すことはベルン市民の誇りであった。
わが県にも空港を、わが町にも新幹線の駅を、わが町にもリニアモーターカーの駅を、わが町にも高速道路を・・わが町も東京と直結したい。東京は日本の市町村が目標とすべきモデルではない。東京は日本に一つあればよい。日本中を東京に似せようとした結果が、土木王国化を招いた。
私は富士山静岡空港は絶対に失敗すると断言した。賛成派の静岡県民と議論になったのである。彼は空港建設は静岡全県民370万人の願いであると宗教的な瞳になった。「静岡には新幹線の駅が4つもあるではないですか。便利な羽田か成田に行きますよ。伊豆半島の人など羽田がよほど近い。熱海だって、小田原だって同じこと。370万人は行政区分であって、交通の便利度区分で県民がどのように流れるか考えたことはあるのですか」。
彼は言った。「あなたは東京に住んでいるから地方の実情が分からないのです。どこの県でも空港があるではないですか。一県一空港は地方の願いなのです」。この人は静岡にいてこんなことを信じているのかと目を覗き込んだ。自分の考えではなく信じ込まされているような目であった。
北海道に住む事業家の知友は私にこういった。「夏や紅葉の時期だけ遊びに来て、この自然を守ってくださいとは良くいえたものだ。内地の人にとって北海道は観光地だが、我々はここでこの厳しい自然と対峙して暮らさなければならない」。私は知友に言った。「地に暮らすことが人間の定めだ。北でも南でも同じこと」。知友は食い下がってきた。「内地にいたのではこの厳しさは分からないさ」。私は負けなかった。「この土地を好きなくせになぜ東京と比較をする。札幌は札幌。土地の欠点を他の土地の良いところを比較をしたら全部そんな話になる。お前はいつも北海道のすばらしさを自慢しているではないか。東京と比較をするからいけないのさ。東京だって冬は寒い。室内は札幌のほうがよほど暖かい」。
田舎はなぜ里山を守った暮らしをしないのか。なぜ地方は東京と直接につながりたい、東京を目指したいという構造を変えようとしないのか。足元の利権に目が眩んで目指すべきパラダイムが見えないのである。つまりは変えられないのである。だから社会構造が変わらない。ますます時代から取り残される。
私は秩父道を走っていてこの道は下仁田から佐久へ通じる道であることが分かった。高速道路を特急列車のように飛ばさなくても、時間に余裕があればこの道をのんびりと軽井沢へ行くことが楽しい。私は運転しながらそう思った。各駅停車の電車に乗るように、一つひとつの町並みが分かり、住んでいる人の息遣いまでが聞こえそうだ。
クルマは寄居町に入った。「もう切りがないから家へ戻ろう。犬が心配」と後部席で家内が言う。どこへ行くという目的を失ってしまうと、走っていても切りがない。帰りは花園から関越に入った。午後4時半には家に到着していた。わずか3時間半のドライブであった。まだ明るい午後、私は久しぶりに、庭に出た。
12月に咲き競うと思っていた山茶花がつぼみを開こうとしている。開花はすぐだ。
白木蓮の葉は、若葉のようにみずみずしい。
長女がこどものころに埋めた種が成長して、いまではびっしりと生る柿は、こんなにも色づいていた。この柿はすべて鳥へのプレゼントと決めている。遠くに秋を探しに行かなくとも、気がつけば我が家の小さな庭でも秋は深まっていたのであった。