熊本から友が来た。夜中まで話は尽きなかった。会う時間が遅かった。会議を終わって知友が泊まるホテルへ駆けつけたのは午後10時であった。眠くなることもなく、私たちはホテルのバーで閉店間際まで話した。私はコンサルタントを始めた年に彼が経営する会社へ毎月訪問をした。41歳のときである。それから25年が経過するがいまだにこうして信頼関係を築いている。
家に戻ると深夜であった。珍しく家内は起きていた。熊本のFさんと会っていたといった。とたんに「私も熊本へまた行きたいなあ」と、遠くを見るような目をした。
結婚前に私の両親ともどもに父の故郷、長崎へ行き、帰りは天草、熊本、阿蘇、大分へ抜けて瀬戸内海航路で大阪へ出て京都を見て戻るという大層な旅をした。その思い出がふつふつと湧いてきたのであろう。
冬は寒いぞと、私は整理してあるSDカードから熊本の写真を何枚か見せた。冬の阿蘇は雪が降る。私は凍てつくような草千里の写真を見せた。寒そうと家内が言った。
「黒川温泉は熊本でしょ?」。また私は黒川温泉旅館の写真を見せた。『この写真は晩秋のもの。まだこのくらいの風景は見ることができると思うけれど。遅ければここも枯れ木になるさ』。私は言った。
「熊本は何がおいしいの?」 『地の魚。ひらめは絶品だね。アナゴは関西風で美味い。それにお決まりの馬肉も美味い。酒は香露がいい。酵母の香りが絶品だ』。私は絶品を繰り返してから馬刺しの写真を見せた。
「ふーん。おいしそうね。そう言えばハユがね。たらこはどこで採れるの。畑?、山?って聞くのよ。おかしいじゃない?」。家内は話題を変えた。ハユとは次女の長女についた愛称である。たらこを一本カリカリに焼いてぼりぼり食べる。野菜と思ったのか。
私は同じSDカードに広尾漁港の写真が入っていることを思い出した。
『この写真をプリントするからハユに見せてあげるといい。スケソウダラという魚のたまごだよ。タラのこどもだからたらこだよと教えてあげるとよい』。家内は「あなたのカメラって何でも出てくるのね」と笑った。「旅行へ行きたい」と家内は話を戻した。『よし分かった。ところで熊本もいいけれども奄美大島はどうだい?」。私は話を転じた。いまから37年前に私たちは奄美大島へ旅行をしている。「行ってみたいなあ。ずいぶんと変わっているでしょうね」
時計を見ると午前2時であった。「明日があるから今日は寝る。風呂は明日だ」。私はさっさと部屋へ移った。翌朝、熊本の話は家内から出なかった。泰さんは私の返事を待っている。予定を立てなければと思いながら仕事に追われてしまっている。旅行へ行きたいというのはたわごとであったのか。あるいは私が動き出すのを待っているのか。家内は私と若くして知り合い、結婚して、子供を育てて、いまは二人の子供たちの育児支援をしている。私は仕事で日本中隅々まで訪ねたが家内は子育てに追われて大きな旅行はしていない。
12月はどこの観光地も暇になるので飛行機はたやすく取れるから週末を使って家内と一緒に旅行をするかと思う今日この頃である。