金曜日の東京は終日冷たい雨が降り注いでいた。これでは山は雪だろう。私はずぶぬれになり御茶ノ水を歩きながら、翌日に行く軽井沢へ思いを馳せていた。土曜日はうって変わって快晴であった。スタットレスタイヤを持たない我がクルマは、冬の軽井沢へ行くことは不可能であった。新幹線の改札で知友は待っていてくれた。私はダウンジャケットにマフラーを巻いた冬装備であるが知友はスーツだけで、今から厚着をしたのでは厳冬がもたないと見栄を張った。駅構内の温度計は9℃を指していた。寒さの基準が地域によって違うのは確かなことである。
昨日は終日雪が降り続きましたと運転席で知友は道路端にたまっている雪を見ながら説明をした。大紅葉の森もうっすらと雪が積もっていた。これから4月後半まで約半年、軽井沢は冬の中ですねと私は心に浮かんだ言葉を口に出した。意味ない言葉であった。
私はふといつもウオッチングをしている大紅葉の古木を思い出していた。自然は寒い地方が四季があっていいですねとまた意味のない言葉を発した。まだ奄美の余韻が残っていた。会話はキャッチボールでなければいけない。心を口にしても相手は応えようがない。
若葉のころ、大紅葉はどんな葉をつけていたのか思い至っていた。
この葉が若葉のころに撮影した大紅葉である。大紅葉は紅葉(こうよう)ではなく、黄葉になる。
然林庵の近辺は針葉樹が多い。正午過ぎの太陽はこんなに低いのだと改めて思い知った。昨日とはうって変わって軽井沢は冬の太陽が煌めいていた。私たちは本日のコーヒーは何かを問い、ガテマラですという店員の言葉にうなずき、それを注文した。知らないで飲むのではなく知って飲むのが重要で、他の豆を注文するほどコーヒーの知識はなかった。ワインと違って珈琲を学ぶ気持ちはなかった。ワインを飲むときの癖が出ただけであった。打ち合わせは1時間ほど続いた。
浅間山を見たいのですが近くでよいポイントはありますか?私はキャッチボールができる会話を始めて知友に投げた。ありますが電線越しに浅間を見ることになります。それでもよいですと私は応えた。その場所は湯川公園の川向こうに当たる場所で私も良く承知している場所であった。浅間山の山頂は雲で覆われていた。ちょうど信濃鉄道の上りが鉄橋を通過していた。
冬の木々には葉がないので自然の中にいるという気分になれないかもしれませんが軽井沢の住人は冬が一番好きです。住まないとこの気持ちは分かりませんが、と知友は言った。今回の軽井沢はこれで終わった。はやばやと家に戻ったら10歳になった雌ポメラニアンが具合が悪いと言って家内は大騒ぎをしていた。植物は春になれば復活するが動物の生体は滅びる。滅びる代わりにDNAを子に引き継ぐ。動物の本性はDNAであって、生体はDNAのヤドリギのようなものだと思った。すると畢竟DNAとウイルスの戦いの図式でこの世は出来上がっていると思った。
落葉の葉に新たな生命が宿り、落ち葉で幾種類かの命が成育しやがて落葉は腐葉土に変わり地中動物を潤わせながら次の植物を育てていく肥料と化す。空気を染めるほどに紅葉したどうだんつつじも今はスケルトン状態になっている。
私は犬の様子を見てすぐに病院に連れて行くように指示をした。血液検査で肝臓の値が2700を越えたというからとんでもない異常値で、はじめの検査では計測不能と器械が表示をしたといった。触診で子宮が腫れていることが分かった。多分子宮膿腫であろうという診断であった。手術は不可能な状態だが放置すれば死を待つばかりであると医師は言った。私は迷わず手術を選んだほうがよいと携帯電話で指示をした。この雌犬はワンといえるようになるまでに5年掛かった。それまではワであった。抱き上げようとすると急いで逃げて、からだをカチカチに固まらせ壁に張り付く癖があった。壁から剥しとるように抱きかかえると、怯えてがたがた震えているおかしな犬であった。とにかく不器用極まりない愛玩犬であった。けれども回りの心配とは別に雌ポメは強い生命力で医師の不安を振り払うように手術を乗り切って腹に縫い糸を取り付けたまま水曜日に退院の運びとなった。
動物は時間的存在で、植物は種類により時間的存在でありあるいは空間的存在である。しかし結局はDNAを残す存在である点では動植物は共通している。私はこの晩、軽井沢の森で哲学的な顔をして不思議な愛玩犬と一緒に世の中のあるとある空想に浸っている夢を見た。