12月5日土曜日、私は下着とカメラが入った小さな鞄で、奄美大島空港に降り立った。羽田の出発が遅れて到着は11時半であった。名瀬市に入る手前、島豆腐の高野に私たちは入った。
いい店づくりだとすぐに思った。ここはグレイ美術が設計したとあとから出会う田町さんに聞いた。下手な建築家に依頼するよりもよほどドラマチックな店舗を設計してくれる。グレイ美術は町田にある映画、テレビ、舞台、CM撮影に欠かせない会社である。経営者の高野さんがこだわってグレイ美術がこだわりを形にした。
夜は宇検村で、泰さんと泊まった。黒糖焼酎レントで有名な開運酒造が宇検村とコラボで運営しているらしい。新しく清潔なホテルで私たちはすっかり気に入ってしまった。贅沢にツインルームをシングルユースで使った。 私たち以外に宿泊者はいなかった。私たちは大きなレストランの片隅で久しぶりに積もる話に花を咲かせた。
次々とおかずがテーブルに並んだ。写真は全部ではない。メイン料理は時間をかけて煮込んだ豚肉である。これは旨い。豆腐もお酒もソフトドリンクも飲み放題食べ放題であった。島人は黒糖に慣れているせいか、甘いものが大好きだ。豆腐も甘い。旨くて不思議な豆腐料理であった。
奄美大島へ旅行することがあったら宇検村にある「やけうちの宿」をお薦めする。やけうち湾の入り江にあって奄美の神様が降りたという霊峰湯湾岳のふもとにある。こんな可愛いお嬢さんが丁寧に親切に受付業務をしている。
翌朝、泰さんの携帯電話に田町さんから電話が入った。田町さんは京都からのI(アイ)ターン者だが、奄美のとりこになり、奄美の活性化に全身全霊を捧げている素敵なお嬢さんだ。「服部さんが来ているんだよう」と泰さんは田町さんに言った。それがきっかけで私たちは田町さんと昼食をすることとなった。
待ち合わせ場所「モンスーン」は笠利町にある。この店は私も幾度か訪問したことがある。料理好きな女性が二人で、ゆっくりと時間をかけて料理を作ってくれる。この店も旨い。私はカロリーオーバーであることを承知しながら手作りのハンバーガーを注文した。外側は固くてしっかりとできたラクビーボールの形をしたハンバーガーを箸で割ると肉汁がでて、内部は柔らかな肉の塊がほつれる。私たちはここでずいぶんといろいろな話をした。奄美をどう発展させていくのか、大島紬の行方は、焼酎の行方はという島興しから玄米の話、奄美民謡の話から奄美芭蕉布の話まで尽きることはなかった。ランチが終わったのは4時を過ぎていた。田町さんと価値観が共通しているのだろうと私は思った。「モンスーン」の前で私たちは田町さんと別れた。
空港には午後6時に入らないといけない。田町さんの話題にでた夢紅(ゆめくれない)へ行って見ようと思った。ここの経営者は海のそばに古材で家を建てて喫茶と軽食、それにお酒も出している。ご主人は陶芸家でもある。奄美をこよなく愛するIターン夫妻である。私は古材でできたこの店の風情を好きになってしまった。
私は泰さんに聞いた。なぜこの家も杉材を使っているの?答えは明瞭であった。シロアリの被害が一番少ないのが杉なのよ。ヒノキはシロアリの大好物であっという間にぼろぼろになってしまう。私は古材でできた家に住みたいと思った。カウンターは15センチほどの分厚い板でできていた。古民家からもってきたような黒光りする柱も使っていた。それほどに居心地がよかった。私はここで夫人手作りの、きのこクリームパスタを食べて、主人の作品で珈琲を飲んだ。夫人との会話はわずかであったが楽しかった。この人とゆっくり話したいと思った。
奄美は奄美を心底から好きな知性によって生まれ変わると確信した。奄美は沖縄とは別の方向に進んでいる。おかしなIターン者を封じ込めて、新たな知性を結集し新しい奄美を作ることができると思う。やがて軽井沢のような味わいのある島になる可能性を秘めていると私は思った。私は軽井沢と同じくらい奄美が好きになってしまった。おかしなことだ。夢紅の横にはガジュマルの木があった。あたりは夕焼けも終わり薄暗くなっていた。時計は午後6時を指していた。空港へ急がなくちゃ!私は最後のシャッターをガジュマルに向けて押した。高感度であるのか、昼間のようなガジュマルが撮れた。