中学生の頃から本格的に蝶を集めだした。夏休みには新島々駅から歩いて徳合峠を上り、面前に穂高を見ながら、北アルプス蝶が岳、常念岳まで行って、同じコースを松本駅に戻る山歩きをした。アメ横で一人用の米軍払い下げテントを購入して、テントを張るためのスコップや、米を持ち缶詰を持って大きなザックを担いで沢を上り、沢を渡り2週間も山を歩いて蝶を集めた。
常念の東に広がる盆地が安曇野(あずみの)と知ったのは、はるか後のことである。思い出すとよくもできたと思う強行の山旅も、そして強靭な体力もいまはなくなって、三歩昇って三歩滑り落ちるような徳合峠の登りや、まるでマグロを並べるようにして泊まる徳合小屋の風景も、眼前に広がる穂高の朝焼け風景も、遠い思い出の世界に存在している。
それでも安曇野の心地よい郷愁を帯びた言葉はいつも私に残っていて、一度は行って見たいと思っていた。ある年の早春に私はクルマを駆って安曇野へ出かけた。中央道でまっしぐら。あっというまに安曇野に着いた。味を占めた私は毎週のように安曇野に出かけ碌山美術館に通ったものであった。萩原碌山と相馬黒光の適わぬ恋のことやらを知ったのは、安曇野の旅をした成果である。一時期安曇野に恋してしまった私は松本で講演会があったときには穂高温泉に宿泊して山の懐に擁かれたひなびた温泉の風情に浸ったものであった。
そうして安曇野の田園を歩いていて早春賦の碑に出会った。冬の間中、雪に埋もれてひっそりと佇む集落の人々が春を待つ思いを詠ったものであると説明がついていた。早春賦はモーツアルトの曲に影響を受けていると伝えられていて、私は大好きな曲である。私は爽秋の安曇野に立って早春賦が雪解けの安曇野を舞台にして、吉丸一昌氏が作詞したものであることを始めて知った。
早春賦
作詞 吉丸一昌
春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず
氷融け去り 葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃
二番訳 氷が解けて葦の芽がでている。ようやく春が来たとおもうと、また雪空に戻ってしまった。
三番訳 春と知らなければ知らないで済んでしまったものを、春と知ってしまったら早く春が来ないかと胸の思いはせかれるばかりだ。春になればやり始めなければならないことがたくさんあるのに外は雪空が続いている。今日この頃、私はいったい何をどうすればよいのだろうか。
いま、私は軽井沢の自然に恋い焦がれている(と家内は言っている)。軽井沢へ行こうと思うと雪空の連絡が来る。この時期一体どうすればよいのだろうか。早春賦は私の想いを代弁していると思わず苦笑いをしてしまう。