軽井沢検定公式教科書を読んでいるが社会科の教科書と似ていて楽しくない。教科書が面白くない理由がよく分かった。いつ何があったかと記憶をさせるために書かれた本だからだ。
ご当地検定を受けるわけではないので記憶をしなければならないような何年に誰がどうしたなどという文章を飛ばして読み込んでいくと軽井沢がそこらのリゾート地とは生まれも育ちも違うずば抜けた地であることがよくわかる。そんな軽井沢のいまの事情はどうなっているかを軽井沢の知友に聞いてみた。
軽井沢は東京の不動産価格と連動をしている。東京24区と言われるゆえんだ。バブルの時には旧軽井沢は坪300万円、南が丘でも100万円の値がついた。300坪持っていれば旧軽井沢では9億円になった計算である。旧軽井沢はいまは寂れてしまった。旧軽井沢の一等地でも廃屋になっている家がたくさんある。それに変わって隆盛なのが南が丘、それも南が丘通りの東側、軽井沢ゴルフ倶楽部に面した側だ。いまや南が丘が軽井沢で一番活き活きとした高級別荘地と言われている。
リーマンショック前、軽井沢の土地が高騰しミニバブルと騒がれていた時は南が丘で坪30万円であった。不動産業の間では50万円にはなるのではないかと囁かれていた。それがリーマンショックで急転した。
確かに軽井沢の価格は下がっているのだが高級別荘地では新しい売り物件が出ない。出ても価格は下がらない。持ち主が売値を下げないのである。この価格でよかったら売ってあげるよと言う価格である。分かりやすくいうとミニバブル時代についた強きの値を提示しているのである。
一方、買う方の質は下がっている。こんな人に軽井沢に住んでもらいたくないと案内する不動産業の営業担当者に言わしめるほどのレベルが、軽井沢が何であるかも分からず、土地が下がっているから買い叩けと言う気構えで買いに来る。だから商談が発生しない。悲鳴を上げているのは不動産業である。
話によると希望売価の半額で、この土地の樹をすべて伐採することが購入の条件という「狂気」の顧客がいると言う。このような人は軽井沢を選ばず、那須や八ヶ岳の原野を買えばよいのである。
軽井沢観光協会は中国の富裕層を相手に観光誘致を始めている。富裕層が軽井沢の土地に魅せられたら、軽井沢の土地価格は一気に暴騰するのではないかと狸の皮算用をし始めている開発業者もいる。
心ある人は、軽井沢は特別の地だから、いつどのように変化が起こるかも知れず、よい土地があったら更なる値下がりを待たずして、信頼できる不動産業を通して静かに価格交渉をしてみて買うべきだと説いている。
確かに軽井沢は特別の地である。浅間山山麓の豊かな自然の中にあって動物や植物の豊かさはもちろんだが、カナダの宣教師アレキサンダー・クロフト.ショーによって明治19年に認められてから屈指の文化人、経済人、政界人がこの土地を愛し、東京並みの食文化を持ち、さらには日本でも三指に数えられる、身体を包み込むような滑らかな泉質の温泉を町内に持ち、高級食品スーパーで知られている紀伊国屋以上の品質と広大な広さを持つスーパーマーケットを持ち、新幹線で東京駅から1時間あまりの時間距離を持っている。
軽井沢の土地を持つ人の品性が、価格を下げることで買おうとする人たちを拒否し、軽井沢を守ろうとしている姿であると私は感じている。だから不動産の売買が少なくなって困る人がいることは事実だが、動かないことで軽井沢の自然が守られていることを私は好ましいと思っている。何かを守ると言うことはこういうことなのだと私は思う。