絶対音感とは、単独音が別の音と比較しないで音階のどの音かを聴き当てることができることをいう。例えば手元にあるグラスを叩いて奏でた音がG♯と即座に言える。私の知友であるヘンリーミラー夫人ホキ徳田さんが絶対音感を持っている。最近では知友である石川香苗子さんも絶対音感者だと聞いた。その程度だ。
けれども料理の世界にも絶対料理感があるとは私はつゆ知らなかった。知友梶岡さんと共同経営をしているこの人、「工藤さん」は絶対料理感を持った天才である。
67年間も生きていると、いろいろなことに成熟するものだ。私は生まれてから今日まで24,548日生きていて、すごく控えめに一日3回だけ食べたとしても、73,644回も食事回数を誇っているのだから、しかもその間、死の三重奏ですよ医師から脅されるほどの飛び外れた食道楽を続けてきたわけだから、食べ物への感動はもう薄れてきたと思っていた。
しかしそれは単なる奢りか、世間知らずであることがつくづく思い知らされた。この人と出会ったからである。
この人の手料理は、サラダからメインからデザートまで、あるいは飲み物のジンジャエールまで鳥肌が立つような旨さである。例えばチーズサラダは香草とチーズをドレッシングであえたものだが、香草が元気で活き活きと自己主張をしてとんがっている。チーズも活き活きとして香草なんかには負けないぞと意地を張ってる。まったく別の味がそれぞれに強烈な自己主張をして普通ならけんかをしてしまうのだろうがそれをこの人が絡めるドレッシングが、工藤味にまとめてしまう。分かるかなあ。こんな説明で。けんかをするほどの素材同士を思い切り自己主張させながら、それらを覆いかぶせるドレッシングで工藤の別世界をつくり上げてしまうのだ。その上に、ちょこっと載せた別の香草がアクセサリーとなって別・別世界を構築してしまう。
さらにこの人が選んでいるワインと併せると、絶品のサラダがワインと絶妙の音楽を奏でてしまうのである。こんなことは努力で生まれるものではない。持って生まれた天から授けられた才能なのである。
次のモロッコオムレツは口に入れる前から(見ただけで)ものすごいことが起こりそうだと予感が先に出てきて、口にしたら失語状態になり、その上ワインを口に含んだから、もう少し酔っていたとしたら、私は腹ばいになって利き腕の左手で床をバシバシ叩いていたろうと思う。
ジンジャーエールにいたってはなんと生姜がゴロゴロ入っているのはジンジャー(生姜)エールの宿命としても、赤唐辛子や、他のもの(何かを聞き忘れた!)が果実酒のように瓶に入っていて、ワインが飲めない人の食前リキュールとして、これほどの旨い飲み物はないであろうと思った。
カナダドライしか知らない私のようなものには、これが本当のジンジャーエールですよと基準を突きつけられたのであった。分かりやすく言うとワインを勉強した初日に飲んだ高級ワインの感じである。
次はデザートだが、有名どころのパテシエが自信を失うほどのピーカンナッツタルト。これもまさか工藤さん?と聞くとハイとまた恥ずかしそうな顔をして笑う。
あのサラダからモロッコオムレツ、ジンジャーエール、そしてこのケーキまで全部工藤さん?
同じ質問にこの人は聞こえないふりをしている。
こいつは何者!とばかり、この人の顔をまじまじと見たのだが、恥じらいを込めた顔で笑うだけで何一つ答えはなかった。
同行してくれた梶岡さんは、「工藤は一度食べた料理は作れてしまうのです。旅が好きで世界中を旅しています。このオムレツはモロッコのどこかで食べたオムレツを再現したもので、おいしいですね」とさりげなく言い放った。
私はこのとき初めて絶対料理感なるものが存在していたことを知った。モーツアルトのように凡人がいくら練習を重ねてもたどり着けないほどのずば抜けた才能を持っている人がいるものだが、この人は料理界のモーツアルトである。
開店して間もないこの店は工藤さんが創り出す絶品の味と、ランチ食堂並みの安さと、梶岡さんが設計した古材を使う店舗のユニークさと、好接客の四重奏で、お店はあっという間に知れ渡り、連日超満席である。昔は、私が中目黒を島として食べ歩いていた時代には、赤提灯の飲食街であったこの界隈はすっかりとおしゃれなストリートに変わっていた。それはそうだろう。代官山の次の駅だもの。時代がこの立地を放置するわけがない。
したがって格好いい若い人がこの店のお客さまであった。私はこの料理に出会ってうれしくなった。カウンター席で料理を愛でている若い女性に思わず同士がいたのかと声を掛けてしまった。
このブログを読んでくださる人々のためにお店を公開してしまった。到底黙ってはいられない。
一口だけでも口にすれば絶対料理感を持つ人の料理がどのようなものかを思い知らされるであろう。服部のブログを読んできたと伝えてもサービス品は何一つ出ないけれど、お店の人からすれば、なぜに新しい顧客が来たのかその素性が分かってうれしいと思う。価格と価値がイコールした状態をリーズナブルというのだが、この店は価格を圧倒的に凌駕する価値がある。普通は満足をしてしまえばあえて行きたくなくなるものだが、この店だけは満足をするほどにもっと行きたくなる。満足を得つくしてもまだ期待値が後ろ髪を引く思いで残る。私は仕事柄この本質が何であるのか極めようと思っている。