最近まで「ドライアイ」が進んで真夏の日差しはミルクをかぶせたように白一色に見えていた。最悪の時はクルマのウインドーが白ペンキで塗られたようになって外が見えなかった。パソコンに終日向かっていたがためにまばたき回数が減って目が乾燥した結果である。かなり重度に進行していた。これを解消するためにサングラスは、伊達めがねでもファッションめがねでもなく、明るい日差しの中を生きていくための必需品であった。それが室内に入ると一気に改善して正常化したから不思議であった。
気がつくと夜でも同じであった。周辺は暗闇に融け、闇と物の境目が分からなかった。夜の運転は命がけであった。100キロで走る高速道路で、トンネルの中では壁とクルマの境目が闇に包まれてぼやけて見えた。そのために私はクルマのサイズを小さくした。幅が6センチも狭いクルマを選択したのはこのような事情であった。
思い余って医師に相談するとドライアイを修復する点眼薬の処方箋を書いてくれた。強い日差しの下ではサングラスをかけるのが有効でしょうとアドバイスを受けた。夜の運転は避けたほうが良いでしょうと付け加えた。
点眼薬を欠かさず使用したおかげで、真夏の強い日差しでも道路からビルまで可視化できる都市の風景が、絞りを開放のままにして写した写真のように白く飛んでしまうことはなくなった。目の絞り機能は正常に戻った。いまはサングラスを手放して歩いているがまったく不自由はない。それにつれて暗闇の境目は見えるようになっていた。絞り機能が壊れてもサングラスをかければ解決すると、いつもの問題を問題としないで乗り切る持ち前の楽観思想が、ここでも幸いした。
思い返すと見える全域が白化した時は白昼夢をみている錯覚であった。特に前日お酒をしたたかに飲んだ翌日などは、脳全体が白化しているので昨日のことが事実であったのか、夢であったのかが、白化して見えている私の脳のなかで重なって混乱する時があった。目は脳の一部である。灼熱の強い日差しの中で見えているものは事実と違っていても、事実として判断する脳。これはいま思えば不思議な体験であった。
釈迦が弟子の舎利子に、世の中で役に立たないものを探して来いと命令をする。舎利子は旅に出るがやがて戻って役に立たないものはありませんでしたと報告をする。次に釈迦は、舎利子よ。それでは役に立つものを探して来いと命令をする。舎利子は即座に足元にあった小さな石を拾い、釈迦に差し出す。
この仏話が、私の例え話を言い表すものであるかは正当化できない。けれどもこんな不思議な体験でも、また心を悩ますような体験でも喉元を過ぎてしまえば、「不思議な体験をした」の一言で済んでしまう。
喉元を過ぎるとは二つの意味がある。一つは過去形になった時、二つは波乱を乗り越えた時である。現象はいまも続いているが波乱を乗り越えれば、その波乱を事実と受け止めて心静かに暮らせるようになる。
例えば音楽家の浜口倉之助さんは病気で声帯を失った。音楽家で声帯を失った人は少なからずいる。心は波乱であったに違いない。声帯を失ってどこに心静かに暮らす音楽家がいるだろうか。しかし晩年にハマクラさんは、心静かに暮らしたそうである。
私はどんなことでも良い体験をしたと認識をする。何があってもすべて良くなると認識をする。どのような体験でも役に立たないことはないのだ。その体験が自分にとって波乱のことであっても、耐えて、ためて、乗り越えていければやがて、波乱は光と化し、心のどこかに小さな花を咲かせることができる。
人間は部品でできている。部品は壊れる。事故で壊れることも、磨耗で壊れることも、病気で壊れることもある。生きている途中に心が傷ついて壊れることもある。誰かが言っていた。人間は死ぬことに備えて毎日を体験していると。私もそうではないかと思う時がある。
過去に失ったモノやことを哀しむのか、見えない未来を不安として生きていくのか、過ごす日々を好日として生きていくのか。それで生きる毎日が変わってくる。すべては心が決める。波乱か平常かは人によって受け止め方、感じ方が異なる。
心静かに生きるとは、時に波乱と感じたことに翻弄されて揺れ動く自分の心を見つめながら、耐えて心にためて、乗り越えて、事実を事実を受け止めながらも、やがて心を鍛えて前に進むことにほかならない。
今日は三連休の三日目。資料を作るために仕事をしている。今週はハードスケジュールが待ち構えている。朝から気温がみるみる上昇し目が眩むような日差しの中で、目の機能を回復してくれたわが肉体のがんばりを慈しみながらこんな白昼夢をみた次第である。