デスクの引き出しから一枚のメモリーカードが出てきた。私が始めてデジカメを持ったその時の古いメモリーカードである。今日は週末であるが事務所に出社して原稿を書いている。昼食後の筆休み?に、いつもPCにつなげてあるデジカメ、メモリーカード専用のアダプターにメモリーカードを差すと、なんと友と行った斎場御嶽(セイファーウタキ)の写真であった。
友は高校一年生のときに隣り合わせになり、今日まで親しく交流している親友である。沖縄には一度も行ったことがないと言っていたので、私の「お供でマイル」を使って沖縄へ行ったのであった。
那覇の住宅街でタクシーを止めて「セイファーウタキ」へと告げたら運転手の顔色が変わった。「え?あなたたち、セイファーウタキへ行くの?」「ちょっと待っててね、いろいろと用意をしなければならないからね」
運転手はコンビニでクルマを止めると水のペットボトルをしこたま買い込んで出てきた。「あそこには神様がたくさんいるからね。きちんと挨拶をして通らないと何が起こるか分からないからね」
上の写真はセイファーウタキの遠景である。
セイファーウタキに到着すると運転手の顔も姿勢態度も何もかもが変わっていた。もはや別人。神に仕える忠実な下僕になっていた。
セイファーウタキに登る上り階段入り口にうやうやしく頭を下げてペットボトルをあけて水を撒いた。「ここには両側に神様がいるの。敬意を持って通らないと何をされるか分からないからね」無論私たちには何も見えない。
やがて友が別な方向に進むと「だめだめ。そこには何か神の気配があるの。それが誰だか分からないから触ってはだめ。触らぬ神に祟りなしと言うのは本当だよ」と止めた。それを聞いていた別の人が寄ってきた。あなたはあそこの神が見えるの?、私も見えるんだけどあなたやるねー」
運転手は指差しながらこう言った。「あそこにもあそこにも神様はいるよ。でも誰だか分からないから私は触らないんだ」
「へえ。あなたはすごい方ですね」話しかけた人は敬語を使って運転手を敬った。やがて奥に到着すると運転手は歩き方まで変わってきた。神が乗り移ったのかと私は思った。奥にある拝所(ウガンジョ)のまえで運転手は直立の姿勢をとった。それが下の写真である。
運転手は声を掛けてきた人から質問に答えていた。「首里城の井戸は死んでいるね。もう水の声は聞かれない」答えるたびに質問者は敬虔な顔になった。
運転手は緊張の窮みまで達していた。両手をまっすぐに下ろし足を兵隊のようにまっすぐ伸ばして歩いている。突き当りが三庫理(サングーイ)というセイファーウタキ最奥にある最も格が高い拝所である。ここは琉球王国の創世神アマミク降臨の地と言われている。
サングーイから沖縄最高の聖地であり神々が住む久高島をはるか向こうに拝むことができる。
久高島には喜納昌吉やチャンプルズのメンバーと行ったことを古い写真データから思い出した。久高島の区長が桟橋まで出迎えて島を案内してくれた。それから3回ほど、この島に渡った。馬連から水上タクシーのような小船が出て渡るのだ。
この写真は知友K教授が撮影したもの。一緒に沖縄へ行った時、私は仕事で那覇に残り、ご一緒できなかったときのものだ。この写真は久高島にあるニライカナイに通じる拝所である。あれからかれこれ5年が経過する。
この写真は久高島に渡る船からセイファーウタキを撮影したもの。やはり撮影者はK教授である。
一枚の古い写真データからいろいろな記憶を呼び戻せる。私が書いた運転手の話も、作り話のようにも読めるだろうが、こうして写真が添えられると真実味を増すから面白いものだ。