毎日、時間刻みの生活をしている。その上、本を出版するための執筆を始めているから刻んだ業務時間は延長に延長を重ね、毎日のように午前様が続いている。こうなると身体が緊張状態から解けない。
創業時に私は池袋サンシャインホテルで2泊3日の勉強会を主催したことを思い出した。初日は午後1時から午後9時まで。二日目は午前9時から午後9時まで。三日目は午前9時から12時まで。この勉強会を私一人の講師で話し続けた。この時はさすがに勉強会が終了したら力が抜けた。エネルギーを使い切ってしまった感じがした。私は昼食を食べると青山の事務所に戻りエリックサティのピアノ曲を大きなボリュームで流した。するとどうだろう。サティが身体の中に染み込んで入っていくではないか。染み込んでいることが自分でわかるのである。音楽が終わる頃にはエネルギーは充満してきた。
永田画伯が、戦場で交戦している時に一軒の家があってそこに入り込んだ。すると古びた蓄音機が何枚かのレコード盤と一緒に残されていた。家は戦火を逃れるために疎開して誰もいない。画伯は蓄音機のぜんまいを巻いてレコードをかけると動いて音楽が流れてきた。いつ死ぬかも分からない銃弾が飛び交う戦場での音楽は身体に染み込んだ。すると生きる勇気がふつふつと湧いてきたと私に語ってくれたことがあった。
次は別の話である。シベリアに抑留された日本兵士達がシベリア鉄道を開発労働者として厳しいノルマとともに刈り出されたことは誰もが知っていることだが氷点下何十度にも気温が下がる厳寒のシベリアでわずかな食料を与えられてモスクワの机上で作られた工事進行スケジュールノルマを果たす兵士達は次々と命を落としていった。ところがある集団だけは誰一人死なずに命をつないで日本に戻ってきたそうである。それはグループに民謡が上手い兵士がいて彼は一緒に労働する人たちにソーラン節などを教えて、唄いながら労役をしたのである。
音楽や絵を、これらをまとめて藝術と呼ぶなら、一つの藝術は決して人間の空腹を癒しはしない。だが、時に藝術は人間に深く染みこんで人の命さえも救うことがある。現にいくつかの労働歌は、過酷な労役を強いられた空腹の兵士達を死なせずに日本に帰したのである。
私は時間を区切る仕事は忙しい時にやるべきだと思っている。時間に余裕があればいつでもやれると放置してしまうからだ。そんな性分が災いして、詰め込むだけ仕事を詰め込んでしまい結果として夜中まで仕事を続けることになる。それは自分で選んだ時間の使い方であるから不満ではない。問題は緊張状態が解けない身体をいかに解いて快眠を得るかに頭は回る。
私は一人、真夜中にリビングの椅子に座ってCDを回す。そんな時に私は壁にある永田画伯の絵を見ながら自分を見つめ直し、ショパンのノクターンを幾つも聴く。私はこうして毎日の緊張から身体を回復しているのだ。
私は時折、この絵は私が過酷な状態にあったときに私を勇気付けてくれるだろうかと考えて観賞することがある。画家が何を描きたいのか集中した絵には人に影響を与える何かがある。見るものが過酷な時に姿を現し、オーラとなって見る人の心に染み込む。そして絶望の果てにいた人間の命を救うほどの勇気を与えてくれる。藝術に空腹を癒す力はあるのかとの問いに答えることはできない。けれども・・・・・・・・・・・・・・・・・・。