日本は国家の体をなしていない。それは防衛をアメリカに依存しているからだ。こんな国家はあまり例がない。尖閣諸島で船をぶつけた船長は処分保留で釈放された。経済界はこれで中国と商売ができると安堵したようだが、もしも東京湾で同じ事件が起きても日本政府は中国の圧力に負けて釈放するのか。そんなことをふと考えた。
たった一日の違い。地球が一自転をした違いのことである。たった一日の違いだけど、一日で社会は大きく変化をする。私は軍事力増強を賛成とは言わない。しかし国家の体をなしていないからおもいやり予算といわれているアメリカの日本駐留軍事予算の肩代わりを大幅に増やすことを言明され、中国からも次々と圧力を掛けられて屈服する。
アメリカは尖閣諸島は安保の範囲と言っただけだ。これを確認できたと菅内閣は安堵している。現実の世界では中国とアメリカが世界を支配し始めている。オバマ大統領は中国とうまくやれと釘を刺している。
国会議員は地盤ばかりを見ている。日本地図さえも見ていないということだ。ましてや世界地図を見ている議員はどれだけいるだろうか。
経済界も、国内市場を掘り下げないで安易に中国市場に頼っている。こうした普段の心がけが、ピンチになるとたった一日の違いで世の中が激変する事態に陥る。
これから尖閣諸島はどうするのか。中国政府や活動家は日本に領有権がないことを認めたから釈放したのだと主張をするだろう。経済界は尖閣諸島問題で中国と事を起こさないで欲しいという。
国家が自国の領土を守れなくなったらそれは国家の体をなさない。菅内閣は、圧力による不自由があっても領土内で起きたことは自国法に則って処理するという原則を貫いて欲しいと思っていた。そして圧力に屈しない国家を作って欲しいと思っていた。
ところが那覇地検は処分保留のまま釈放をした。地検の判断なのか政治判断かは分からない。地検が政治判断をして処分保留のまま釈放をしたというのはおかしいし、政党や立法府が司法に釈放をせよと圧力を掛けるのもおかしい。こんな簡単に処分保留とするならなぜ行政は逮捕をしたのかという疑問も残る。私の話は政治的な話題ではない。国民の心棒に関る話なのだ。
中国は競争社会だから、外交は絶対に弱腰にならない。弱腰に出たら自分が仲間から引きずり下ろされる。それは天安門事件を振り返れば分かる。総書記趙紫陽は学生側に同情した発言をして失脚し死ぬまで軟禁生活を余儀なくされた。もう再評価はないだろうといわれている。だから中国の外交は絶対強気で貫く。これからはますます強引になるだろう。
たった一日で世界は変わる。私たちは世界は変わっても変わらないものを持っていなければならない。それは原理原則(principle)だ。何事も原理原則に則って判断し行動をすることだ。この国家は原理原則がなくなっている。総理はその場にあわせて発言がぺらぺら変わる。巷ではペラ缶と呼ばれている。検事は自分のシナリオに併せて証拠を改ざんする。親は子供を虐待し殺す。若者が次々と人を殺害する。国家がそして民族が原理原則を失った結果だ。日本が20年も低迷している原因はここにある。
英国のサッチャー元首相は、アルゼンチン沖合いにある英国領フォークランド諸島にアルゼンチン軍隊が上陸したらすぐに出兵した。領土を犯すものとは戦う。これが原理原則だとサッチャーは言った。
日本はアメリカからも中国からも食い物にされる。立法も司法も行政も原理原則を失った結果だ。いま、高笑いをしているのは中国とアメリカだ。アメリカはこれで日本から、おもいやり予算と日本が名付けた駐留軍事費をがっぽり取れると踏んでいるだろう。中国はちょっと脅せば日本はすぐに尻尾を巻いて頭を下げると確信しただろう。脅せばすぐに震え上がると、今頃は彼らにとって旨い酒を飲んでいるだろう。アジア各地で領土を主張している中国に対してアジア各国は日本が屈せば次は自国と恐怖を感じるだろう。
船長釈放問題は法治国家を揺らすほどのインパクトがある。中国は自国の領土内で起した事件を領土ではない日本が逮捕して拘留していることを怒っている。それに屈したことは領土問題に屈したと同じ意味を持つ。
那覇地検の独断なのか、政治介入があったのか、地検は司法放棄をしたのか。これから明らかになってくるだろう。