私がかつて多忙すぎていた頃、ストレスになった。豊橋駅ホームで通過する光号を見て、自分はあんなに早い列車に乗っているのかと思った。秘書が私の空いている日程に連絡が入る講演依頼やコンサルティング依頼の予定を机上で押し込んだ。私は秘書が決めたスケジュールを実行するために超過密ノルマをこなした。まるで巡業であった。
私のストレス症状は、いくら空気を吸っても身体に入っていかないような気分になることであった。やがてこだま号に乗って静岡で光号に乗り換えるスケジュールであったが、新幹線車内に入った途端、深呼吸をしないと空気が入っていかない気分になって、人前もはばからず深呼吸を繰り返した。超スピードで走り抜けた姿に恐怖感を覚えたことがトリガーになったが、巡業生活のような1ケ月30日間勤務状態が続いたことが原因であった。
いま、私はその時と似た生活状態である。巡業生活ではなく、次々と提案書を書き、コンサルティングを行う日々が続いている。おかげで仕事の約束も取れない状況なのだ。夜遅くに家へ戻りテレビで森の風景が映ると目が釘付けになってしまう。それほどに偏った生活をしているという証である。
もうこれ以上、ムリと思っていたら、最終トッププレゼンテーションが先方の都合で2週間ほど延期された。プレゼンを受ける前に先方は現状確認プロセスを追加したのである。私はようやくホッとして一息ついた。
食事でも飲酒でも、もうこれ以上はムリだと感じる限界がある。だが私の仕事は質・量共に限界点に届いているのではない。「生き抜く力と息抜く力」のバランスをとっていないだけである。息さえ抜ければ仕事はいくらでもできるのだ。つまりよく仕事をしていてもよく遊んでいないだけである。仕事の量だけ遊びの量を増やせばよいのである。
遊びとは私の場合に必ずしも遊興のことではない。自然に触れることこそが、最大の息抜きになる。この前、軽井沢へ行ったばかりだと思っていたが午後から半日などというのでは量が少なかったらしい。明日は早朝にクルマで出かけようと思う。