久しぶりに訪ねた軽井沢の森は秋の盛りであった。昼だというのに虫が鳴いている。泣き声の側には月見草が咲いている。月見草が哀しく見えるのは想う人の後姿に似ているからである。
見上げると栃の葉はまだ生い茂っているのに、足元には栃の実が幾つも転がっている。
栃の実はリスの好物だが、リスはこの栃の実をまだ見つけていない。殻が二つに割れて中から漆黒の実が出てくる。
足元には紅く熟したやまぼうしの実も落ちている。食用になるのだが私はまだ味を知らない。
みずき科の白いやまぼうしの花が、紅い実をつけるなんて不思議だ。
この森にはそれは小さなカエルも飛び跳ねている。土に潜って越冬するのか。私にはカエルの名前も生態も分からない。この小さな森にも生態系があって、もちろん頂点には人間がいるのだけれど、たまにはいのししの足跡もあって漆黒の夜中に出会ったりすれば人間が頂点とは言っていられない。
森を構成する一つ一つが秋を迎え、そして森全体が秋を迎えている。あと一ヶ月もすれば軽井沢は紅葉の秋を迎える。うすばしろちょうの食草「むらさきけまん」は姿を消しているが幼虫は蛹となって5月まで冬を越す。
私は人間がもっと自然を敬ったら、世界は変わっていると思うことがあるが、それは北には流氷の海を持ち、南には珊瑚礁の紺碧の海を持って四季に恵まれているからそう思うのであって、もっと過酷な自然の中に暮らしていれば人間は自然を克服しようと思っても敬うなどの気持ちは生まれないと思う。
私はこの森で鳥と虫の合唱を楽しんでから3キロほど離れた雲場池に足を伸ばした。あと一ヶ月でこの池は紅葉に埋まる。私は久しぶりに軽井沢へ訪問して、森の秋と慣れ親しんだ。
都市ではコンクリートに覆われ、季節が移ろうことを肌で知ることはできない。仕事に追われていると季節さえもどこか別の話になってしまって置き去りになる。
私はハイキングコースを歩くことで自然を満喫するのではなく、一つの森に特定して森の営みを見ることにしている。このことは私の旅の経験から生まれた知恵だ。自然を遠望していたのでは自然の営みは分からない。一つの森に入って森の中を見定めることでたくさんのことが分かる。
日本の自然は本当に素晴らしい。