モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん 壇一雄
作家の壇一雄、絶筆の句である。モガリ笛は、漢字では虎落笛と書く。
ビルの谷間などでひゅうひゅうと音を立てて吹く風のことで、冬の季語である。
病床で壇一雄が、自分の声が枯れた音をたてていたことから、ここにもモガリ笛が鳴っているよと語ったそうだ。モガリ笛が吹く冬の寒さがもうすぐ終わり、春がやってくると言う意味だと文学者はこの句をそう詠んでいる。
壇一雄の「火宅の人」は舞台女優入江杏子さんとの愛の歴史を書いたものだ。火宅の人の初版時に購入して読んだが、いまは手元にない。何で買ったのかも定かではない。
かつて部下を連れて福岡での仕事の前日、博多湾に浮かぶ能古島(のこのしま)に遊んだことがある。能古島は壇一雄が晩年住んでいた島であったが、私たちは壇一雄を追いかけたわけではなく、井上陽水の能古島であった。その時に壇一雄の文学碑に出会った。この碑に刻まれていた句が「モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん」である。
次にこの句と出会ったのは、長崎の画商が開いているホームページからである。私はある画家の絵を求めてこのホームページにたどり着いたのだが、文学碑の句はまったく忘れていて、ここで販売をしている壇一雄直筆の色紙が文学碑に刻まれた同一の句であるとは気がつかないでいた。
絶筆といえどこの句を書いた色紙が売られているくらいだから、死の床でこの句を書いてすぐに逝去したわけではない。この句以降に句を作っていないので絶筆と言われているのであろう。本当に絶筆であるかどうかはわからない。
今年、私は舞台女優入江杏子さんと出会った。しばし滝沢修のことや杉村春子の芸について意見を交換した。入江さんは滝沢修にあこがれて民藝に入ったと言ってそれから私が若き頃に観た滝沢修の芝居「オットーと呼ばれる日本人」や「炎の人」について幾つもの対話をした。はじめに彼女が火宅の人に描かれた「恵子」であることを紹介されて、こうした対話とは別に私の脳の中ではこの句が突然のように鮮明になり、私の心の中を駆け巡っていた。
「花ニ逢はん」とは、どういう意味だろうか。花「に」を数字の「ニ」と表現している意味があるのだろうか。花とは誰のことだろうか。文学者が解釈しているようにモガリ笛が吹く厳しい冬が終わってまもなく花咲く春が訪れると解釈するのが正しいのか。
私は「モガリ笛 いく夜もがらせ」が、死の床のいまを詠っているのか、壇一雄の放浪人生そのものを振り返っているのかで花ニ逢はんの解釈が異なると思う。死の床に横たわる今を指しているなら、一人は死別した律子夫人、そうして残るは、杏子さんを含む愛した女性の誰か一人。もしも人生そのものを指したのなら一人は律子夫人、残るは母親のとみさんと思う。
花二逢はんとは自分の死後に、先立った人に(あの世で)逢おうということで、花とは愛した人、自分の人生に咲いた花のことである。と私は解釈をする。
壇一雄の流浪は、はじめの夫人律子さんとの死別で始まったのではないかと思う。律子さんとの出会いと死別で、心底から愛した女性を失った。それほどまでに律子さんを愛したのだと思う。
壇一雄は律子夫人を失った時点で自分の人生も終わっていたのだと思う。あとはおまけの人生であったのだ。だから一つの出逢いと別れのあとに破天荒な生き方があった。
もっとも当時はそんな生き方が許された時代でもあった。壇一雄と仲がよかった太宰治や堕落論を書いた坂口安吾も考えて見れば自己本位な破天荒な生き方をしたし、師であった佐藤春夫も、谷崎潤一郎夫人との三角関係が有名な逸話としていまだに語り継がれている。
壇一雄の愛人であった映画評論家の小森和子は、川口松太郎の愛人でもあった。川口松太郎が建てて住んだ川口アパートは私のオフイスの南隣にある。佐藤春夫はここから歩いて5分足らずの伝通院に眠っている。私は時折佐藤春夫の墓所を訪れる。
私は部下と陽水が縁で能古島を訪れて壇一雄の文学碑に出会った。そしてこの句と出会った。そのうえ画家と再会をしたことで入江杏子さんに出会った。私の部下は今年夭折した。自分の役割は終わったというようにして命のともし火を消した。
人生はまわり回った不思議な糸で結ばれている。一つの体験が知識となり、知識は糸を紡ぐように別の知識を関係付ける。私が無関心なことは断続した一つの経験で終わってしまうが、知識の糸を紡ぐことによってたくさんの人生が回りまわって紡がれてくる。それを紡ぐ作業はとても愉しい。
だから私は今でも時折、目に見えない力で生かされていると思うことがある。この先私は何を果たさなければならないのか。そんなことを思うことがある。そんなものは実際はないのだが何かを果たすために命を与えられていると思い込むことがある。それが生きる力となって背中を押してくれるのなら思い込むことも悪いことではないと思う。
私は人生の三叉路で道を選択し続けた結果、いまにいる。どのように選択してもいまにいるわけだが、私は人生の三叉路で選択しなかったために別れた人、出会うべきであったが出会えなくなった人に恥じないように生きなければならないといつも思っている。
私の人生に、これからもモガリ笛がひゅうひゅうと吹くことがあっても、何かを果たすために私はへこたれず、めげずに生きるのであろう。花ニ逢はんは私にとってはまだ先のことだと思いたい。