28バッハ-神よあわれみたまえ
今日は私の安息日であった。正確に言うと安静日であった。猛烈な勢いで押し寄せてきた風邪は一週間経過してもその勢力を弱めることはなかった。医師も薬局も薬が効かないと驚いていた。抵抗力が弱まっているのではないかと言った。来週は多忙なスケジュールが組まれている。なんとしても風邪を押し返さないといけないと思った。そこで本当に久しぶりに一日家で静かにしていた。私一人しか家には居ず、照明もつけず、家の中は静かであった。二頭の犬も静かであった。私は終日一人で音楽を聴いていた。
聴いている音楽がバッハのマタイ受難曲であった。(冒頭にMP3ファイルでJAZZにアレンジしたものをアップしておきました)。芸術は不思議である。特に宗教音楽は不思議な作用を人の心に与えるものだ。この曲を聴いていて私はだんだんと落ち込んで行った。落ち込んでいくのに景色がぴったりであった。風邪で体力は弱り、私は照明のない空間で一人、臥しているのだから。
落ち込みながら仕事を辞めて一人で家にいる姿を想像していた。落ち込みながら将来にこんな生き方はしたくないと思った。例え一人で暮らすにしても別の生き方をしなければならないと思った。何故そんな気分になったか私には分かっていた。聴いている宗教音楽の影響であった。
私は夕方に玄関に掛けてある一枚の油彩画に向かった。なんでもない静物画である。石楠花をガラスの器に無造作に放り込んであるものを描いた10号の絵だが、観ていて不思議に元気になった。
永田力画伯の言葉を思い出した。「絵は人の空腹を癒したりはできないが、人を勇気付け命を救う力があるものだ」。
私は藝術が持つ不思議な力を気づいている。もっとこなれた言い方をすれば藝術の魔力を気付いている。どんな魔術でも種明かしができることも知っている。建築物を人間のサイズを越えて大きく作れば威圧感が出るとか、Amで演奏して感じなかったことが、Emに転調するともの悲しく聞こえることも知っている。だから時の権力者によって芸術家が利用されたことも知っているし、権力を持つ宗教教団によって建築技術が、教会を飾る絵画や彫刻が、そして音楽が善良な市民を支配することに利用されたことも知っている。
芸術家は専門的な領域で、人の心を動かす作品を創作する力を持っている。私たちは純粋に藝術を楽しみ、喜怒哀楽を体感すればよい。私たちはここを見抜かなければいけない。藝術力には種明かしがあるということを。ここを見抜けるだけの批判力と美意識を、そして力強い精神力を持たなければいけない。
私はJAZZにアレンジされたマタイ受難曲を親しい友人と、静かな灯の元で酒を飲み交わしながら聴けば、きっと過ぎ去った過去を振り返りながら会話も弾み、奥深いひと時が過ごせると思う。安息を取ったおかげで体力が回復してきた私は、元気が戻っている。藝術を楽しむことは大賛成だが、藝術には仕掛けが潜んでいることを改めて思い知った一日であった。