私は群衆の中にいて群衆に流されながらも、群集の傍観者でもある。
エディットピアフが唄うように流されながら私は自分の踊りを踊っている。けれども群集は私を押し流し、あらぬ方向へ進んでいく。
群衆は流されていく行き先の結末がわからない。真実は私の踊りの中にあるのだけれど、私は群集の傍観者でもあるから行き着く場所に何が待っているか分かっている。けれども群集はお構いなしに流れ流されていく。
地球温暖化で北極の氷山が溶けている。お陰で北極圏コースの航路ができて運搬コストが半減できたと船会社の経営者は喜んいる。・・・・ジャンボジェット機が東京からロスまで、一回飛ぶと四国の面積に相当する森林が一ヶ月間に発生する酸素を消費するのだが、誰も口も目も耳をも塞いでいる。・・・・熱帯雨林は酸素を作る源だが、年々その面積が消滅に向かって小さくなっている。発展途上国の政府は言う。森を破壊するなは先進国の意見だ。我々は都市を作って先進国になりたいのだ。・・・・自然の脅威を克服し豊かで文化的な暮らしをしたいのだ。森が破壊され人間の都合で針葉樹の森に変わっている。人間が占領した地域に追い詰められた野生動物が人間の住む領域に食べ物を求めて出没する。マスメディアは熊が人を襲ったと騒ぎ、猟友会の会員が出てきて野生動物を射殺する。これで安心して暮らせるとアナウンサーは笑顔で語る・・・・。
群集のどよめきで真実は消し去られている。真実を叫ぶ踊り手は踊りながら群衆に巻き込まれていつの間にか群衆のなかに消えていく。
ピアフの「群集」が好きだ。今日も安息日ならぬ安静の一日を過ごし、いろいろなことを考えていた。大島さんと新しいマーケティングの理論構築についてメールで意見を交換しながら、群集を思い出した。このマーケティングが群集に理解されるのかを考えていた。
ピアフは人生を3度生きた人であった。多くの恋をし、恋人を一流の歌手に育て、たくさんの唄を、今でも忘れ去られず継がれている唄を残した。ピアフの唄は人生そのものを唄った。決して群集に流されず、たくさんのものを残した。ピアフが歌う「群集」がyoutubeにアップされていたので冒頭にアップした。ピアフは人生を諦観しないで自分の意思で群集にぶつかり、人生を力強くこじ開けた。だからピアフの象徴ともいえる「群集」を私は好きなのである。