私の風邪はいきなり喉頭炎、気管支炎から始まる。強烈なのは咳で、これがなまじの薬ではどうしても止まらない。そんわけでこの週末3連休を使って完成予定であった原稿が二日遅れになった。土曜日と日曜日は咳き込んで原稿を書く状況ではなかった。
坂の上の雲を読み、正岡子規に関心を持って子規に関する文献を読んだ。正岡子規は結核のため長い闘病生活を続けていたが吐血をしても俳句を創作していた。吐血が創作意欲の衰えにならない精神の強さに感服をしたが子規は苦痛から逃れたい一身から何度も自殺を試みた。
正岡子規は次のような言葉を残している。
「余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事はいかなる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事はいかなる場合にも平気で生きて居る事であった」
その昔、私が21歳の時、京都南禅寺管長芝山全慶師の書「禅心禅話」を読んで白隠禅師が書いた「南無地獄大菩薩」掛け軸の存在を知った。
いま思うと正岡子規は難解な白隠禅師の讃を、「いかなる場合にも平気で生きて居ること」と平易な口語文で訳したわけだ。
江戸から明治になり言葉が大変化を起こした時に、夏目漱石と正岡子規は近代日本語の成立に決定的というほどの影響を与える功績を残した。これまでの文語文から口語文を完成させたことである。
正岡子規の心境には程遠く、とはいえ、喘息のように咳き込むと、とてもPCに向かう気になれず、休みは考えるきっかけになるからと私は家で新たな構想を練りながら体力を戻し、今日は出社して執筆を始めるところである。
鳥のために残したものを・・・・・、伝えなかったばかりに庭師が摘み取ってしまった柿は、元の枝に括ることもできず、捨てることもできず、人に分けて、いくつかは私の口に入り、もう残ってはいない。
庭に出ると野鳥が寒空の柿木にとまっている。私は野鳥に対して後ろめたさを感じている。
「悪かったなあ。残った柿は君たちのものなんだということを、庭師にはしっかりと伝えておくからな」
伝わることはない野鳥への想いを庭に残したまま、私はクルマのハンドルを握って出社した。