司馬遼太郎の坂の上の雲がテレビで放映されている。ここは日露戦争の舞台となった旅順である。
上の写真は二〇三高地の頂上から見た旅順港である。ロシア軍の主力艦隊はこの旅順港に留まっている。湾の入り口が細くなっていて、この港は地形そのものが良好なる要塞になっている。この海に船を沈めてロシア軍艦を日本海に出ることができなくしてしまおうと考えた。その説明は要らない。有名な話である。
中国の大地を舞台にして日本とロシアが戦争をした。中国は政治力が衰え帝国主義各国にとって草刈場であった。二〇三高地は旅順港攻略の要諦の場と気づいた日本は旅順攻略を決行する。
ロシアの要塞は強固であった。日本軍は二〇三高地の山を登って攻略しただけではない。大連から旅順に向けて侵攻した。途中にはロシア軍とその強固な要塞が待ち構えていた。
そもそも、旅順はロシア語で遠くの地という意味であるらしい。旅順はロシアが押さえた中国の地にある不凍港であり、次は朝鮮の植民地化を狙っていた。
東郷平八郎は、「本日天気晴朗なれど、波高し」と大本営に開戦の打電をし、艦隊には「皇国の興亡、この一戦にあり。各員一層総員奮励努力せよ」とZ旗を上げた。
投降してきたロシア軍指導者と記念撮影をした時、乃木はロシア人にも軍刀を持たせた。武士の情けなのか、これが武士道なのか。
いま日本国民は、坂の上の雲を見ながら、国難に立ち向かい、命を捨ててまで戦った当時の人たちの姿を、ため息をついて眺めているのがやっとなのである。